世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年03月29日(金) 第92夜 ★ 西国徒歩巡礼 5番葛井寺まで ★ 

昨日はめくるめく眠気で、今朝早起きして日記をアップ。
朝食を7時過ぎに戴いて、7時40分に出る。
昨夜はあちこちが痛くて、明日は歩けるのか、と心配だったが今朝はまた元気だ。
ありがたいな、と思う。

YHの朝食はいつも思うんだけど、600円でお得。
今朝もパンバージョンと和定食バージョンで、両方食べていいんよと、先に食べていた工事のおじさんがにこにこして教えてくれた。
両方は無理だから、
納豆と鮭、海苔、お味噌汁、それにパンバージョンの野菜をいただいた。そして仕上げはコーヒー。なかなか豊かな朝御飯、満足。
帰りがけに、YHの朝御飯はどこでもおいしい、みんなどうしてもっとYHを利用しないのでしょうかね、などと奥さんと話してお別れする。気をつけてくださいね、と送ってくださった。
今日は午後からは雨だという。
その前にお寺に着けるか・・・無理だろうな。
昨日の施福寺から、葛井寺までは約27.5キロ。昨日すでにYHまで(少し横道だが)6キロほどを進んでいるので、まあ、22キロというところだろう。平地歩きだし、気楽に歩いてもお寺の門前よりも行けそうだが、お天気が気になるし、昨日の疲れもあるので、今日は楽をして藤井寺に泊まることにした。大きな町だしホテルか旅館がありそうだし。

河内長野の市街まで延々の下りだが、時折登る。
石川という川の河岸段丘上にできた町だと歩いているとよくわかる。
お天気は曇って、空はどんよりしているが落ちてきそうではない。
川沿いの細い道、人家の間をくねくねと通る道がかつての大和街道だ。
むかしの道は山際、川沿いに自然とできたのだ。と納得。遍路道もそうだが。

9時半河内長野駅近くでよくわからなくなって、黒い上下で、リュックを背負った女性に道を聞いたら、なんと駅から、橋を渡るところまで一緒にいってくださった。
ありがたいことだ。
途中、「うちの長男は、私は観音様の夢を初夢に見たとしに生まれたんです、次男は観音さんというあだ名やったし。だから観音さんにはなんか親しみがわくんです、いいですねえ、私も歩くのがすきやし、いつかそういんのん、やりたいわ」
などという話を聞く。
河内長野駅前には宿が2軒あった。

またまた石川を渡って、錦織神社11時20分。
今のところ、まだ雨はこない。しかし、やたらに暑い。はいていた白いウインドブレーカーのおすぼんを脱いだ。

錦織神社から、国道に出て振り返れば、昨日越してきた和泉山脈、しみじみ。目の前にはPL教団の塔。まるでガウディみたい。

国道はやっぱり異様にうるさい。
お店があるのでトイレの心配はなくなるのが国道だけど、うるさいよ、ホント。
初めてお昼にお店にはいった。
国道沿いのボンズという和食レストラン。
四国だと、白い服来た人(お遍路)がいても自然だが、やっぱり「南無観世音菩薩」と背中には行った袖無し白衣はじろりんとみられる・・・よ。
お寿司と、アイスコーヒー。T新聞にメールを入れた。(しかし、宿について調べたらなぜかリターン・・)

やがて、国道に沿っている、巡礼街道にはいる。
ご老人夫婦が教えてくださった。
西国の道は年寄りでないとだめだ・・。

羽曳野にはいったら、
南阪奈自動車道の高架工事中。
旗振りをしていたおじさんと話す。
なんか高そうな高速道路になりそう・・といったら、「そうや、どうせ赤字の道や、道路公団のやることはみんなそうやろ、みんな税金や。国民、文句いわんしな。わし、自民党きらいや」
はい、わたしも・・・。

やがて羽曳野古墳群地帯へ。
なんと、古墳の堀を切り裂いて道ができている。道の名は大阪外環状線。
さらには堀を埋めて、住宅地造成までしているではないか。
イヤだねえ。
堀の後なんて、水がたまるし、危ないのにさあ。こんなとこに造った家を買う人がいるのか・・いるなあ。
ついに雨が落ちてきた。
どはで黄色の合羽を着る。
目立つ。みんなチロリとみる。
でも、いいんだ。あぶなくないもん、この色。

藤井寺着、3時。ホント、もう2時間は歩けたけど・・・。
雨もさしたることもなく、だし。今日は楽をして明日はがんばろう。
お寺で、教えてもらった千成旅館に素泊まり泊。
4時まで入れないのでお寺境内で時間つぶしだ。

明日は早く出るぞ。
日記アップ、夕方5時。駅前までご飯を食べにいき、6時半にお風呂に入って早く寝よう。

今日の道。
旧大和街道の面影があるところはよし。
国道がねえ・・・。まあ評価B、ってとこかな。
ちなみに昨日はAですけど、しんどかったわ。
一昨日はCです。だって、国道、県道だらけだったし。













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