世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年03月30日(土) 第93夜 ★ 西国徒歩巡礼 壺阪寺まで ★

今日の距離は32,4キロ、と書いてある。
おまけに古代の国道1号線である竹ノ内街道を歩く。大阪(かつての河内)と大和の境である竹内峠を越える。昔、友人たちと奈良を歩き回っていたときに河内飛鳥から竹ノ内街道を抜けたいと行っていたのだが果たせずにいたことを思いがけず実行できるというわけ。
峠越えと30キロ、ということで6時過ぎには宿を出た。やはり交通事故で右膝わきの靱帯を半分切って以来、歩く速度は遅くなっている。
寝ぼけ眼の女将さんが送ってくださった。

一晩中降り続いたで、町はしめっている。昨日は繁華だった町もまだ人どうりは少ない。まあ、今日が土曜だが。

出て40分もたたないうちに道を間違えたことに気がつく。
しかし、今自分がどこにいるのかもわからず・・困った・・・人も見えない・・都会の真ん中なのに。
どこで間違ったか、高架の下でたぶんはいる道を間違った・・地図を読み違えた・・・途方に暮れた。
ふっと見上げると「応神天皇陵入り口」。そうか・・しかし、でかいから、東西南北に入り口ありそうだし。細い通りに入ったら、折良く玄関先を掃除していた女性に会う。
目指すは「近鉄の古市駅」だったのでその名をあげてきく。
「応神さんの御陵と、そこのコンダ古墳てあるんやけど、その間の道を高架まで行ったら、すぐに国道があるしこれを右いってな・・」
応神さんか・・・まるで、おとなりの人を呼ぶようにいわはるやないかいな。
でもこのあたり、まさに古代の古墳地帯。お隣に古墳があるというのは大げさではないよな。
いわれたとおりに古墳の間にたつ住宅街を抜けて応神さんの御陵を少しのぞき込んで、としていたら、自転車のおっちゃんに話しかけられた。
「御陵だけまわっとんのか」
「いいえ、西国札所」
「そういう人もあるんや、そうか、あんたはお寺か、わしは4月になったら、四国をまわるわ、そうかそれ、四国の杖か」
おじさんは、私の「お大師さん」をしげしげと見た。

7時半、駅通過、やれやれ。たぶん20分はロスっているよ。

「ふれあいスポット竹ノ内」などという、ちんけな、しかし、きれいなトイレのあるありがたい公園が出てきた。
いよいよ今日のメーンが近づいているというわけだ。

昨日からつきあっている石川を渡り、飛鳥川沿いにいよいよ竹の内街道。といっても、細い川沿いの小さな農道だが。

天気は上々。気分良く歩いていたら、太子町(聖徳太子のお墓がある・・きっとこの町の人は太子さんとかっていうんだろな・・何しろ「妹子桜祭り」とかいう張り紙があってもちまきをするようだし・・そうあの小野妹子だよ・・餅まきだぜ・・そこのお墓でさ、時間がればみてみたいよ)
妹子と太子だけではない、用明天皇、敏達天皇・・等々日本史できいたことのあるお方たちの古墳がめじろ押し。ちなみにとりあえずの目印は「孝徳天皇陵」だ。確か、中大兄皇子に操られたお人ではなかったか。
しかし気分良く歩きすぎて、道を行き過ぎて戻る。またしても20分ほどのロス。30キロ台の日にしたくないミス2連発。
うろうろしていたら、建設会社のえらいさんが事務所から出てきて教えてくださった。ありがとう、です。

竹の内峠の肝心なところは、いわゆる国道166号と重なり、今も輸送の大動脈。トラック、車多くて怖い。
登りで、ひかれそうな恐怖と戦いながら歩くのは神経症消耗戦だわ。

奈良県には行ったとたんに休憩所が出てきて行政の姿勢の違いを感じた。ここで、大阪芸大の探検部の男女二人組に出会って少し一緒に歩く、でかい荷物を背負っている。
彼ら、きょうは当麻温泉に入るんだとかといって当麻への分岐で別れる。
最後に私の地図に興味を示した女の子のほうが写真を撮らせてくれというのでokする。やっぱり袖無しでも白衣と杖が珍しいみたい。

12時半。
近鉄新庄駅のコンビニで食料を買い込んで、隣の役場の花壇のブロックに腰掛けてご飯。30分休憩だ。
さくらの木の下、良い天気。
それにしても、靴を脱ぎ、30分休むと荷物が嘘のように軽くなる・・・。

距離もあるし、元気も出たので、せかせかと歩く。
途中役行者の誕生所吉祥草寺(昔、行者さんの追っかけをしていたときに来たことある)や、あの変わり者の女天皇斉明陵などが次々と出てきた。
寄りたいが、よれないの、弱足のかなしさ。
私に西国歩きの記録をくださった芝山さんは寄っている、たしか。あの方は早いから・・・。

2寺40分すぎ高取町にはいった。
どうやら届きそうだ。
お寺に電話して宿紹介を頼む。
「高取は宿ないんや。飛鳥までいかんとなあ・・」
エー、でかい町なのに。
お寺の方は、飛鳥のペンションを教えてくださる。
しかし満員。週末は1ヶ月前予約だ、とばかにしたようにいわれてしまったよ。
困ってまた寺に電話したら、そしたらもう樫原まで行くしかないなあ・・そんな・・もうあるけんわいさ。飛鳥ぐらいだったら1時間かそこらだし我慢するが・・・。奥の手じゃ。
お寺を打ったとに電車で橿原神宮まで行き、明日またあるくルートに戻る・・そう話したら、お寺の方はそれがいいと、と駅前の旅館を教えてくださった。
素泊まり6500円は高いが、観光地だし仕方ないか。

お寺は最後の登りがきつかった。
そして待っていたのは500円也の入山料だい。
納経300円のほかに、だ。
これって疑問?よね。
お寺は立派だし、応対もよかったのだが、境内は1980年代の日本のように建築ラッシュ。バブリーで雑然としていた。
境内には盲人老人ホームもあった。
ここは、お里と沢市のお話で有名だから。

びっくりしたのは、真言宗なのに大師堂がないこと。
お坊さんにきいたら「四国のお寺なんかにはタイシドウはありますけどな・・」
タイシドウ・・ダイシドウといって欲しい、お坊さんなら・・・四国の寺には・・・いや葛井寺にも、紀三井寺にもあったよ。
ちなみにお大師さんは本堂の隅にちまっとおまつりしてあった。

高取の薬販売の歴史を感じさせる町並みの中をぶらぶらある気で駅へ。
これがまだ宿まで歩くとなったら、こうはいかないが、もう足裏はマメの気配を感じるし、後は電車だし・・のんびりだい。それにしても「奥の手」を使ったのは初めてだ。
6時すぎに宿着。
部屋にお風呂トイレがついていた。
古いが、ゆったりとした作り。

しかし、教えてもらったコインランドリーで、800円の使用料金に驚く。
乾燥、300円。
洗濯代がこんなにかかるとは。

夕食より、日中の暑さでのどが渇いていたのだろう、缶飲料、まじめなみかんジュース愛媛ぽんジュース、ソフトアイスなどが次々とはいった。

洗濯場で、高校の野球部合宿にマネージャー兼ボランティアでついてきたお母さんたち二人とはなす。滋賀県からだそうだ。

今日も一日が歩きで暮れた。ありがとう。









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