| 2002年05月26日(日) |
★一乗寺から姫路へ★ |
ホテル発6時10分。夕べは、足の火照りと、窓を閉めたら、やたらとたばこのにおいがして目が覚めてばかり。体調はよくない。 パンと甘夏、お茶の朝食で出た。日曜のせいか、車の数は少ない。 ぼてぼてと歩く。何となくからだが重たい感じ。 外で仕事をしておられる方に挨拶をすると「どこまでいくん?法華山か?」といわれる。清水寺は御嵩山だし、このへんの人は山号で寺を呼び慣わしてるようだ。
地図を眺めると、ため池がやたらに多い。 川も多いが、ため池はそれ以上だ。 ふつうの道を歩いていてなにが困るといって、休み場がないことだ。今日はセオリー通りに1時間ごとに休みを入れたいと思うが座るところがないのが困る。
一乗寺まで後2キロという感じのところでやすんでいると、後少しですよ、とバス待ちのおばさんから声がかかった。 はい、でも少し休んでから・・・なにしろ、観音さんは必ず最後に山登りさせてくださいますから・・というと笑われた。 ホントにそうなんだもん。 もしかして、その心は、御利益は楽して付いてくるものではないんだよ、ってことか? まあしかし、一乗寺はさしたることもない登り。楽勝。11時40分着。
確か、ここの本堂は舞台づくりで有名だった?はずだが、今は修理中とかで、ご本尊もしたに安置されていた。 国宝の三重塔はさすがに古さびていて立派だ。 ここで、ドイツ人4人組としばし語らいの時間。 一人の女性がすごく上手な日本語を話す。 きくと、神戸に10年近くもすんでいた人、今はニュルンベルグだという。ロマンチック街道ですね、いきました、大昔、といったら、小学生の時?といわれてしまった。そんなことないよ、ジョークだったの? 彼女は、日本語だけじゃやなくて、英語はもちろん、イタリア語、スペイン語、などいろいろと話す人らしい。 通貨がユーロになった感想を聞いたら、物価が少し高くなったといっていた。わかる、アムステルダムの友だちもそれを心配していたっけ。 今週の木曜に帰るのだという。「残り少ない時間、いい旅を」と、わかれた。
一乗寺は、ご住職さんのお考えで、自販機が近辺に一つもいてない。カンやボトルの投げ捨てで、境内を汚されたくないのだという。代わりにお寺直営の休憩所がある。そこで、無料の冷たいお水と温かいお茶が振る舞われていた。 自販機の冷たい飲み物を期待していたのだが、こういうのも見識だろう。 いいと思う。 休憩所の女性が、歩いている、といったら、興味をもって地図を見せてという。 見せると、ああ書写山は裏からのぼるんやね、という。そんなこといわれても、わからない。ただ、ロープウエイはつかわない、山からは夢前の方に抜けるといったら、そんな道があるのかという。 あるようですよ。 偉いわ、とその人がお煎餅をくださった。 お昼のおにぎりや甘夏を食べていたら、今度はすごくきれいな初老の女性が「よろしかったら、車にのっていかへん?私らは書写山にいくのんよ」 はい・・・・うーん・・・・ お山まで行くと、どうしても夢前まで抜けないといけない。宿がない。今日の体の疲れをかんがえれば、ゆとりを持って姫路まで出て、明日じっくりと登りたい・・・・気がする。 お山の下から登りたいのだ、やっぱり。 自分の足で登れる幸せ、なんだから。 しかし、お断りするのも何か・・・もしかして、観音様が少しお休み・・と思っておられるのかもしれない・・・、ということで姫路まで乗せていただいて、今日は半日姫路でお休みをとることにした。
大阪からというお二人、のせてくださったご夫婦は上品な感じ、60代後半といったところか。 「大学生ですか」とご主人がまじめか顔をしていわれたのにはうれしいをとおりこして、びっくり。 化粧をしてにないせいか、連日の汗で体が若返った? うそお??
ナビを設定して10分あまり、あっという間に姫路の市街地に着いてしまった。これが私が午後の半日をかけて歩こうとしていた距離なんだ。
「車観音様でした、ありがとうございました、お気をつけて」 とおわかれした。 駅前の宿着、1時50分。 少し休んで姫路城見学。 城郭建築の技術に感服。感動。
というわけで、今日は姫路の休日でした。 観音様がくださった半日休暇の気がする・・西国のお接待だった。 お車のお二人は「男の人だったらのせへんよ、こわいもんなあ」といっておられ た。いつかの「永久」(とわ)の女将さんも、歯切れのいい関東の言葉を話すから、よその人とわかったけど女の人だったから泊めたんよ、男は怖いわ、決まった人しか泊めんといっていたっけ。 昔は、女の一人はだめだったが、このごろは男の一人が受難の時代なのか?
とにかく半日のリフレッシュ。体がらくになった。 明日からは、120キロの長丁場が始まる。
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