世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年06月23日(日) オキナワ

この頃カタカナの「オキナワ」という文字をめっきり見なくなった。
「戦後」も遠くなりにけり・・なのか・・

夕方のTVで、沖縄の慰霊の日の様子をやっていた。
稲嶺さんがしゃべり、小泉クンがしゃべり、でも、あのひめゆり部隊自決の地となった野戦病院(要するにガマ・・鍾乳洞)で小学生(中学生かも)が涙流しながら、「戦争はしてはいけない、なくさないといけない」の画像の方が、力あったよ。
私もあそこで、ひめゆり部隊の生きのこりの方からお話を聞いて涙が湧いたから、わかる。
それとあの場で、「天皇には戦争責任はあったよ」と自然に思えた。
この洞窟で沢山の若い人を自決させたのは、彼のせいだ、と理屈ではなく感じた。
もし、地獄というものがあるのなら、昭和天皇は間違いなく今「地獄の責め苦」を受けておられるだろう。あの方は、そんなご覚悟もあったんじゃないか、とも思うが・・・。

ところで、アメリカ軍の最初の上陸地がどこか知っている人は少ない。
沖縄本島ではない。
座間味島だ。
私が初めてザトウクジラを見て、はまった記念すべき島。
その港近くにひっそりと「アメリカ軍上陸地」という記念碑がある。
クジラを見た感動もさることながら、島のオバアに聞いた話も忘れられない。
島には沢山の「拝所」があった。
ある日のこと、その拝み場所でノロさんに拝みをしてもらうオバア3人について回った。島の一番古い拝所についたとき。
一人のオバアが話しだした。
アメリカ軍が上陸する前夜、島民がここに集まり、花火のように落ちる焼夷弾を見たこと、お父さんが自分や母親の首を鎌で切り裂き自決したこと。父親も家族の首を切ったあとに自分で死のうとしたが死にきれずにほかの島民に殺してもらったこと。自分は死んだふりをして3日間死体の中に埋もれて助かったこと・・。73歳(1999年当時)のおばあは泣きながら、語った。
そして、首の傷を見せられた。シワだった首に、がりがりと引きつれた傷痕・・私も涙がにじんだ。
なんであの時、唐突にオバアが話し出したのかわからない。
本土から、鯨を見に来た観光客である私。
船が出るまでの時間、好奇心でオバア達の拝所回りの荷物持ちをしながらついてまわっていただけなのに・・。
こんなこととをなはしたの初めてだ、つらくて話せなかった・・といわれた時には
私、言葉がなかった。機会があったら、聞いた話をしようと心に決めた。

本島でも、セイファウタキに行くバスで、強姦されそうになっている女の子を助けたくても助けられない・・そんな時代があった・・今も似たようなもんだが・・・みたいな話を運転手さんから聞かされた。
タクシーの運転手も言った。「本土からのお客さんには、米軍や戦争の話をするようにしている」と。
オバアも無意識にそんな気持ちだったのか・・・
平和、というとまずあのオバアの話が浮かぶ。

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北条、鎌大師の妙絹尼が、老人ホームに行かれるかも知れない、という書き込みを
今朝、Drミッチーの掲示板で見た。
ショック・・・・

アラウンド・ザ・ワールドチケットのことで、ANA、UAと電話。
UAのHPは、電話の番号なんてどこにもなくて、口頭で聞きたくても入り口なし。
ANAは、さすがにフリーダイアルの番号を持っていた。
そこで、UAの電話を聞いてTEL。
インターネットの普及はいいけど、電話入り口を残しておくっていうのは、武士の情けでしょ、UAさん・・でした。

曇り、ちょうどいい気温、で、眠くなる。
またまたお昼寝。
今日はめずらしく我が夢の中に「藤原新也さん」が出て見えた。
不思議、アレーー、キャーー。
どこかの南の島の民宿の大広間、で話してんだよね。
彼のおネエさんのNさん(尊敬する私の知人)のことなど。
この夢、どういう意味があるんだろう。

Nさんにお手紙でも書いてみようか。


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