世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年06月24日(月) お通夜へ

昨夜遅く、昔の同僚から、やっぱり昔の同僚「カトーサン」が亡くなったと電話が来た。
確か、まだ50代半ば?後半? ショック×4
私が新米先生のとき、中堅で転任してきた人。いろいろと教えてもらった方だ。

今朝になって、そのモト勤務校の校長先生からもお電話をもらった。
電話の主はこれまたすごくお世話になったユーコ先生。
いろいろとお話を聞くと、なんと先週学校で倒れて、そのまま逝かれたらしい。
これもショック。
彼女は細くて、楚々として、脳溢血の体型じゃなかったのに・・・
倒れるまでさぞいろいろと不調があっただろうに、職場で昏倒するまでなぜがんばったのか。
つかれて冷房の下で眠ったまま逝かれた男性の先生。(彼はまだ40代後半だった・・)
癌を隠して(多分)仕事をし、家で倒れて、数日後になくなったやり手女性指導主事(50代になったばかり)
こういう「戦死」みたいな死に方が学校現場に増えたように思う。

のらくら好きなこと(仕事も含めて)しかしない私にはいう資格ないかもしれんが、命が尽きるまで仕事しないでよ・・・。
ため息しかでない。

夕方はお通夜に行く・・・・。
こういうの、きつい、つらいよな。

私が教師になった頃、学校はそれなりに変わりつつあったし、窮屈になりつつあったけど、今から思えば牧歌的であったかと思う。
夕方は職員室の後ろで「ビアレストラン」が開いていたし、子どもも、のんびりしていた。
正月、川崎大師でかんだガムを棒の先につけてお賽銭釣っていてご用。それで、さんざん叱った子どものことなんか、今思えば笑う。

またしても、大きなため息が出る。

今は大人も子どもも、ピント張りつめたゴムヒモみたい。もう少し引っぱると疲労でブチンと切れる・・・パンツのゴムはゆるい方が楽なのに・・そういうゆとりはもはやない。
旅から帰ると、この国の治安のよさに感謝はするが、すぐに息苦しくなる。
夜行バスなんかに乗ると、そのしらんとした空気とそれぞれの閉じた魂が冷たくて。
中国やトルコの、人と人が否応なく関わらなければならないかの国のバスがなつかしくなる。

さ、もうお通夜に出かけないと・・・


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