世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年07月31日(水) ラ・バーンズ フィッシュキャンプへ出発

7時に行動開始。昨夜はひどいいびきをかく人がいてやや寝不足だ。
静かに荷物からいろいろと取り出して、身仕度、7時半、タクシーに電話。電話で英語を話すってすごくにがてだけど、まあ旅英語で慣れだ。
今日は、空港に行って飛行機で、コッツビューという北極圏ライン上にある町に行く。町の人口の80%がエスキモーだ。この町からさらに5マイルほど行ったところにフィッシュキャンプはある。名の通り、鮭を捕るキャンプだ。

AIEがとってくれたチケットはエレクトリックチェックイン。(日本ではEチケットというのかな?)
簡単です、大丈夫という話だったが、挑戦するも、受け付けてくれない。
クレジットカード番号を入れると受け付けられません、と出るのだ。
カウンターに申し出たら、キーボードから入れてくれた。
話と違うよ、ヤレヤレだ。

ゲートに行く入り口はセキュリティに手間取ってすごい列だ。
ゲートにたどり着くまで40分近くかかった。
ボディチェックまであった、勿論フィルムは荷物から抜いたし。
とにかく厳しい。
昨年のセッテンバーエレブンから。しかたない。
でも、まあ、アメリカの飛行機って、昔から他の国の飛行機よりセキュリティは厳しかった気がするが。恨みもつらみの嫌われ者の国だからな、これまたしかたない。

またまたヤレヤレで、シナボンとコーヒーをかって朝ご飯。

17A,ウインドウシート。
天気がすごいので景色がすごい。
地は海へあるいは、川へいつの間には没していく、定かならず。水が地を飲み込んでいる。やっぱり、大地って水から生まれたのね、と感じるでかい景色だ。
ユーコン川が見えてきた。
氷河がうがったくぼみを水が流れ川となり、大蛇のように蛇行し・・山の頂は噴火の後も生々しく・・・
地理と地学の学習をしている気がする。
それにしても、北の果ての山々や大地がこんなにも赤く不毛とは。
エジプトの砂漠とよく似ているのだ。
「フォレストファイヤー!!」
前の席の男性が教えてくれた。
煙が上がって、赤い色が見えている。
木と木の摩擦で山火事が起きる。
ものすごく乾燥しているのだろう。

飛行機は予定通り、10時50分くらいに着いたが、迎えのラ・バーンさんが来ていない。
外で10分ばかりウロウロしていたが、ちょうどきたツアーバスの女の子に聞いたら「アラスカ航空のフロントデスクで聞け」と。
行ってたずねたら、電話してあげるけど、今は忙しいちょっと待て、と。
そんなことをしていたら「らしき」ボロイ車がやってきた。
外に出たら、フロントドアに「ラ・バーンズフィッシュキャンプ」と書いてある。

しゃきしゃき動く金髪の女性と、日本のその辺にもいそうなおばさんが二人してやってきて私の名前をいう。
「そうです、私はあなたを待っていた、心配でした」
といったら、ごめんなさいと謝られた。
車に荷物と共にのって「私はたくさん、早く英語が話せない、ゆっくりと話して下さい」とお願いした。
ラバーンさん、OK。
元気で活発そうな人である。
おばさんは、ビューラーさんといって、エスキモーの人だった。
すぐに、町中を案内してもらった。
ほこりっぽい道、平屋の木造住宅・・家の回りに散らばるゴミやいろいろな品物。
まるで、中国かタイの田舎町のようだ。人の顔も大半モンゴロイドだし。(翌日アンカレジからきたおじさんがこのクレージータウンにようこそっていっていたけど、一見そんな感じだよね、これもアメリカ?!)
町中には、チャイニーズレストランやコリアンが経営するガソリンスタンドがある。
毎度ながら、彼らのバイタリティに感心。

途中、この町のエスキモーで一番長寿だというビューラーさんのおばあちゃん(94歳)に会った。
すごくお元気。冬はここではなくてフェアバンクスで過ごすのだという。
白人きたばかりの頃の話(はじめの病院はベッドがひとつだった、キャンプばっかりで大きな建物はなんかなかった等々)をしてくれた。
ビュラーさんとは、エスキモー語で話す。
ごつごつした、ア行音系の言語、という印象。
ラバーンさんは、もともと看護婦さんなので、高齢の彼女の身体の心配をしていた。
ビュラーさんに「エスキモー語はどこで習ったのか」と聞いたら、家で。今は学校でもやるが、不十分だ、といっていた。
すごく不思議だったこと。
人口3500人ほどの町に教会が10個もある。「何故?」とラバーンさんに聞いたが「わからない」とのこと。
なんか、この未開の地に、野蛮人たちに「正しき教え・導き」を施さねば、というキリスト教の伝道者独特の意図が見えるような気がして・・・。初期の頃は、もしかしたら、布教を口実に金や毛皮の交易をしていたのかも知れない。歴史的には、よくあった(今もある?)話だし。

あれが、老人ホーム、DV(ドメステックバイオレンス)のシェルター、新しいアパートメント、新しい病院。
と話を聞くと、ここはやっぱり、タイや中国じゃない、確かにアメリカだ、と思った。
興味深かったのは、できたばかりの病院が地域の人たちの交流の場、になっていたことだ。

私は、ラバーンさんとビューラーさんが着ているお洋服が同じデザインなのが気になっていた。
さらに出会う女の人がかなりの割合できている。
綿で柄は違うけど、フード付きのウインドブレーカーの下に短いスカートが付いているような可愛いというか不思議なデザインなのだ。
聞いたら、この辺のエスキモーの人の伝統衣装なんだという。
「可愛いし、私も欲しい」
といったら「わかった、では木地を買いに行こう」ということで、ラバーンさん、朗らかに即決。
町のよろず屋さんのようなところで黄色の花柄を買った。
ビューラーさんが作ってくれるらしい。
オオやったね。

車は、町をはずれて、ほこりっぽい道をとばす。静かな海ぞいの道(勿論ダートである)を進む。
やがて、ラバーンさん、ほらあれがネット、後で魚(サーモン)を取りに来る。
人気のないところにキャンプはあった。
しばらくして、ホントに魚を網からはずしに行った。
ネットを100メートルほど流してあるだけなのに。何の仕掛けもないのに、その網の穴に、鮭がはいってばたばた。引き上げてはずす。ぬめりのある鮭は逃げるし、なかなか大変だ。
ジョージというでかいアメリカ人と、ラバーンさん、ターニアというアイダホからきた女の子と3人ではずす。
大漁、6,70匹はつかまえた。
だだし、後で聞いた話では、とれた鮭の大半は白鮭(日本では新巻鮭になる)で、アラスカでは、犬が食うサーモンということでドッグサーモンというらしい・・・あれあれ。

ターニアとゆっくり話しながら帰った。

夕食後、今度は鮭の解体だ。
せなかから裂いて、骨をはずす。(エスキモーのやり方)
日本人の私から見ると、もったいないほどおおざっぱ。身がたくさん付いてる骨をばんばん捨てる。
包丁は、ウルという、半月型のエスキモー独特のものだ。
ビューラーさんに教えてもらいながらやるが、すべるのでやりにくい。
日が傾きかけた11時近くになっても、終わらず。私は疲れたので休んでいいか・と聞いたら、もちろん、あなたは、シャワーを浴びて終わりにしなさい、といってもらって、ほっ。
最後には、イクラを海鳥に投げてあげていたよ、ああ、もったいなあ。

マジにつかれた。
長い一日だった。
でも、静かな海、澄み切った空気、人気のない浜辺、あおい空。
すかっとする。
時間の流れも遅いかがするし・・・
ラバーンさんも、彼女のご主人も、ビューラーさんも、いい人だし。
ここに3泊、なかなかよいチョイスだったのでは?と思う・・もちろん終わってみないとワカランが。
普通の観光よりずっとおもしろい。


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