| 2009年06月25日(木) |
ちょっとしたことで・・・・ |
甥が先日のおよばれ(姪の嫁ぎ先)で食べたもので「ノロウイルス」にやられたらしい。 あちらのおうちのご家族の一人もやられた、と電話が来て判明。 そう重たくはないのでやれやれだが、今朝せめてごみだしは行ってきてほしいと、義妹に頼んでも・・・彼、返事のみで出てこない。 ま、義妹も「○○君、起きて、ごみお願いね」なんて 自分の30歳になる息子に「君」ずけって・・・私は違和感・・なんですが・・もちろんいわない。 甥は毎晩遅くまでパソコン三昧の癖が取れないようなのだ。(唯一の楽しみ、と義妹もなにも言わないみたい) それとノロの相乗効果? 私も下から呼ぶが、やっぱり効果ない。 で、ふだんはフットワークの軽くない義妹が自分で車で出しにいった。 ほっとくと、高齢の母がとっとと出しにいく。 そして、狭い村世間で何かといわれるんだよねえ・・・「○○さんが亡くなったら年よりの母親がごみを出す」と。私が出しにいっても、いう人はいうしね。 すでにいわれているしね。 ま、それがいやだったのだろうが。 こういうこと1つとっても、弟がいないって、えらいことなんだ。 それと、米作りにおいて高齢母のほうが経験値的にはすごいわけだけど、甥の動きが情けないらしくて、あれこれいう。 母がいうのは無理からぬところがある。 だって、とりあえず亡き弟のすべてを今年は引き継いだわけで、要するに自営業だ。経営者だ。 小規模経営者って、アルバイトさんが帰っても少しはあれこれ働くの普通だし(高齢母がこれをいう)、少なくとも二ヶ月先まで考えながら動かないといけないはずなんだわ。 比べるのは悪いが亡き弟はそれが自然とできた。 気が回った、それは自分の仕事を好きだったからだろう。 でも甥は違う。 彼はパソコンの前が好き、オタク。 だから、アルバイトさんが帰る5時過ぎに自分もさっさと仕事止めて部屋にこもるし、母がいうような先々の仕事の段取りまでは考えていないもよう。 これはずっと感じていたけど、ごみだし問題でやれやれ・・こりゃだめだわと。 彼は彼なりにがんばってはいる。 でも、父親とはキャラが違う。 今朝、憎まれ口を義妹にたたいてきた。 「あの子は、自営業無理っぽいよね、自営って数ヶ月先までよまないといけないのに、それがなかなか。今年は父の仕事の継続もあるからしょうがないとしても、この先はサラリーマンに戻ったほうがあっているし、幸せかもしれない。人の田んぼは来年はみんなお返しして、自分のだって管理できなかったら売ってしまって整理って言う方法もある、そういうことをいってやって、楽になれる。合わないことをしているって苦痛だからね」 義妹も、つくづくとかわいそうだ・・・弟が生きていたら、身体不自由でつらいとは思うが、おんぶに抱っこで「気楽な奥さん」をしていられたのに。 よくうちに遊びにくるやや皮肉屋の方が、外で仕事をしている弟を尻目に部屋でクロスワードパズルをやってお茶を飲んでいる義妹を見て昔いっていた。 「○○子さん(義妹)はいいネエ、このまま苦労なしで○○さん(弟)に守られて年とれたらこれほど結構なことはない、幸せだわ」 でもま、弟はそれでもいいと思っていたわけだし。 しかし、そうは問屋がおろさなかった。 神様は彼女にこの年になって「修行」を課した。 義妹はもともとからだが弱い、今はよくやっているが。 今まで弟のいうようにしてきて、この一人で動かないといけない厳しい修行・・だからかわいそう・・・神様お手柔らかにといいたい。 でもま、意外と鈍感なところがあるし、娘だの友達にそれなりに愚痴(私なんかもうるさい義姉といわれているはず)を言っているようなんでいいのかな、と。
日常の些細なことに、弟の不在の不調和がどっと噴出す。 神様は厳しいなあ。 我が実家は終りかもしれん、とも、私は思っている。 まあ、それがこの世の栄枯盛衰ってものではあるし、蒔いた種が刈り取られる1つの形なのかもしれない。 悲しいけれど、それはそれでしかたない・・・ 月命日にこんなことを書くのは切ないのだが、これまたリアルな現実なのだ。 きれいごとではすまされない。
|