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2002年02月13日(水) |
ささやかな楽園 ●バスを待ちながら |
「バスを待ちながら」は夢のような映画。
キューバ田舎町のバス待合所には老若男女、多人種のすごい行列。待って待ってようやく出発とあいなったが、あえなくバスはエンジン故障。 客の中にいたエンジニアを中心に、バスを自分たちで修理することで客達の中には奇妙な連帯感が生まれてくる。バス停に夜を徹してとどまる人たち。ひとつの困難をともにすることから、順番待ちでいがみあっていたような人々が、翌朝からは食べ物を分け合ったり、居やすい空間を自分たちで作ろうと協力し始める。あれよあれよという間に、そこは楽園の様も呈してきて、バスが到着しても、もう皆乗りたくなくなっている。留まりたい場所がそこに出来てしまったから・・・。 ざっとそんな内容なのだが、「そんなうまい話!」とつっこみを入れる間もなく、楽園はできていく。他人でしかない人すべてと、手を繋ぎあう可能性があり、それが豊かで優しい時間を生んでくれるということ。そして、誰もが仏頂面で行列に並びながらも、心の中でそんな時間を希求していたということ。 夢みたいな話を夢見るような気持ちで見ていたら、映画の中の人々も観客であるわたしも夢から見放され、そのあとまたちょっと夢見ることができる、そんなおいしい仕掛けの連続で終わり、映画館を出るときは幸せな気持ちだった。
最もシンプルで、最も豊かな幸福が、そこにはあった。お伽噺だが、誰もが望んでいることを、映画は楽々と信じさせてくれ、「人間ってそういうものだよね」と、人なつっこく話しかけてくる。 楽ではない制作に関わった人たちに、ありがとう、の気持ちで帰途につく。
渋谷の人混みで、昨年仕事をともにした20歳の人気歌手とすれ違う。「あ!」とお互いに言い合って、立ち話。通り行く女の子達が気づかないかと、わたしはひやひやしてるのに、おおらかに懐かしがる彼。 ひとつひとつの現場で、出会っては別れを繰り返すわたしには、嬉しい瞬間だった。映画を観た余韻とあいまって、わたしの心はほかほかに。
帰ってからはちょいと勉強を、と思っていたのに、ラージヒル決勝にはまってしまった。貧乏暇なしの上に暇があれば遊んでたわたしは、オリンピックをリアルタイムに見ることなんてめったになかった。ジャンプをまじめに見るなんて、実に札幌オリンピック以来なのだ。 それぞれにそれぞれの風が吹く。決して平等とは言えない条件の中で、自分のために跳んでいる姿が美しい。 人間の体はきれいだな。見ている者は楽だなあ。わたしも別の場所で自分の勝負をそろそろしなきゃなあ。 などと書きながら、わたしは船木のジャンプを待つのでありました。
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