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2002年07月04日(木) |
休日の贈り物 ●「桜の園」(森光子) |
3日。新国立劇場にて、「桜の園」を長野を舞台に翻案した森光子主演の舞台を見る。森さんの素敵さは否定しないが、演出の不手際か、どの俳優も手の内でしか舞台に存在してくれず、ちっとも心が動かない。翻案も余りに強引。説得力を感じず、久しぶりに途中で劇場を抜け出してしまう。
公演と公演の間の休みとは言え、恋人は先々の仕事の準備の仕事ってやつで、ずっと働き続け。3日の夕刻から4日の朝までだけ、せめて二人でささやかな休暇を過ごそうと彼が予約してくれていた、お台場の日航ホテルへ。
海を眺めながら、山のように買いこんできた美味しい食べ物と共に、シャンパン、ワイン。ちょっと外に出たくなり、海沿いを散歩して、これまた海の見える寿司屋へ。部屋に戻ってまた飲み続け、知らぬ間に眠っていた。
疲れと不眠のせいで、起きたらもう12時前。いそいで仕度して、チェックアウト。ホテル内のオープンテラスで朝食。食べ終えて彼は仕事へ。わたしはテラスの余りの気持ちよさに、一人残る。
持ってきていた戯曲を精読しながら、誘惑に抗しきれずビールを頼む。他のお客さんは、暑さのせいかみんな屋内。わたしは肌に滲む汗も、紫外線の一斉射撃も気にせず、海を眺めながら、読んだり書いたり、3時間をそこで過ごす。
素晴らしい休日の贈り物。
幸福を噛みしめつつホテルを去り、自宅に向かう途中、目に焼き付いて離れぬ、親子の姿を見る。
改札に向かう人々の雑踏の中、80歳くらいの母が、40歳くらいの身障者の娘をおぶっている。
母は150センチにおよそ満たない小さな体、そして悲しいほどに痩せている。娘の目は濁って遠くを見ており、母の小さな背中の上で完全に脱力し、四肢はだらりと垂れ下がっている。おぶってくれている母の体の温もりを感じられる知覚があるのかどうかも怪しい。
母の折り曲げられた両肘には、くすんだバッグがそれぞれ一つずつ。ふたつの掌で、娘の尻をしっかりと支える。そして、しばし歩けないといった様子で、立ちすくんでいる。 わたしが近くで立ち止まり、声をかけようかと逡巡していると、近くの店員が先に声をかけた。きっとその店の前で長らく立ち往生していたのだと思う。
「大丈夫ですか?」 老いた母は、彼女に視線も移さず、ただただ首をふった。助けはいらない、といった感じで、しゃにむに。そこには意志が感じられた。
店員の存在を振り払うかのように、老いた母は歩き出す。蟻のような歩み。
わたしはしばらく後ろ姿を眺め、それから彼女を追い越し、振り返り振り返りしながら、改札を抜けた。 仕事をしよう、仕事を、作品を世に送り出そう、との思いを強くしながら。この不平等な世の中で、理不尽な生の中で、わたしにも出来ることが、そこにはきっとある、と思いながら。
胸をはって自分は幸福なのだと言うために、やるべきことがある。そのことを忘れないでいなければ。
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