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2002年08月27日(火) 停滞と、停滞から救ってくれるもの。

 本番中。淡々と毎日が過ぎていく。
 
 小さな、いらいらすることがいっぱいあって。
 それは、たくさんの人の集まる現場を仕切ったりまとめたりするわたしの職種では、まあ、日常なのだけれど、このところ、いつものようにうまく職能の中で生きていけず、小さないらいらたちは膿のようななりのストレスとなって、体にたまっていくような気がしている。

 それは、恋人との距離感をうまく取れない時期が訪れたからか。

 それは、自分の将来への不安からか。

 それは、ちょっとした人間への嫌悪なのか。

 こんな時は、とりあえず、世界中の、どうしようもない不幸や、不公平の中で暮らしている人たちのことを考える。特に、そんな中で逞しく生きていこうとしている子供たちのことを。

 そうすると、肩にのしかかるつまらないことの重みが、ちょっと軽くなって、生きているということだけで喜ばしいことなのだと、思い出す。
 いらいらなんてしていては、疲れていては、1日1日、大切なものを取りこぼして過ごしてしまうように思え、自分を鼓舞したくなってくる。

***

 
 恋愛の停滞期(というか、恋人の仕事が過度に忙しく、会えないだけなのだが)とともに、また読書熱は戻っている。最近では、スティーヴン・ミルハウザーの「マーティン・ドレスラーの夢」が抜群に面白かった。一晩かけて一気に読んだ。(読み切らずには眠れなくなってしまったのだ)

 美しき夢。悪しき夢。愛すべき世界。憎めべき世界。喧騒と静寂。高揚と倦怠。表と裏。幼さと成熟。進歩と停滞。未来と過去。成功と失敗。書き連ねればきりのない、世界の混沌が、そこには書き記されていて。

 ひとりの才能ある若者が二〇世紀初頭のニューヨークで成功の階段を上ったあげく失墜するというシンプルな物語の中に、わたしの夢と落胆のすべてがあった。それも限りなく才能ある遠いものに荷担されて。美しい夢のように。悪しき夢のように。

 自分の現実が一掃されてしまうような、自分の現実により引き戻されるような、奇妙な読書体験だった。恋愛やら仕事の方が、物語より力を持っていた最近のわたしを、揺り動かす体験だった。

 こんな出会いの夜も、また、ささやかなことに取りこまれがちなわたしを救ってくれている。

 最近は、チェーホフをひたすらに読んでいる。年内に全集を読破してしまうつもり。今の自分の波長に、あっているのだ、とにかく。



 


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