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2002年11月14日(木) 哀しい気持ち。

●恋人が、ヨーロッパに向けて飛び立った。別居をしている奥さんが、病気になってしまい、看病にいくというのだ。今日発つのだということはすでに一昨日から知らされてはいたが、発ってしまったのだと思うと、意味なく胸が痛む。

●自分に巣喰うマイナーな感情の中で、わたしは、嫉妬という感情が最も嫌いだ。それに襲われそうになると、バランスが崩れる。襲われまいと拒否反応が出て、心が乱れる。今日も、「かつてともに暮らした人の面倒も見れないなんて、人として駄目でしょう?」と自分に呼びかけ続けた。

●昼間は仕事の合間を縫って、一緒にランチをとり、しばしのお別れを。場所がふだん寄らない場所だったので、飛び込みのイタリアン。
 食べること飲むことに、時間とお金を惜しまないわたくしたちであるからか、これが実に当たって、彼などは「今年食べた中でいちばん美味しい料理かもしれない」と頬をゆるませていた。仕事の合間であるものの、白ワインをデキャンタで。昼間飲むとまたこれがよろしい。お互いに好もしく思う人と食事を囲むことほど幸せなことがあるだろうか、と、こんな瞬間に、わたしはいつも思う。
 これは絶対、仕事で得る喜びと等価だ。つまり、このささやかな人生に於ける、最上級。

●彼が旅に出る時、わたしはいつも本をプレゼントする。読んだって読まなくったって、旅に連れていく本というのは、大事なものだ。
 今日のチョイスは、わたしの生涯の愛読書、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」と、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」
 後者は、奥さんを訪ねていく恋人に読ませるような本では、決してない。そしてまた、わたしは当てつけにその類の物語を読ませようとする人間でもない。なんだか、手にとってしまったのだ。本というのは、いつも向こうから呼びかけてくるものだから。
 
●理由がないわけではないな。昨日からわたしは未読だった、トルストイの「戦争と平和」を読み始めているから。
 モスクワでは見れなかった、話題の演出家フォメンコの作品が静岡に来るというので、近々見に行くことになっているのだ。その演目が「戦争と平和」。これはやはり、読んでおかないと。
 それにしても、こんな作品を一度きりの人生の内に書き上げてしまう人がいる。かつていた。その事実が、わたしをへこませもし勇気づけもする。自分の過去を思えばへこみ、未来を思えば勇気が湧くわけだ。
「カラマゾフの兄弟」体験を果たして越えるかしら? それにしても、わたしはこうやって、いつもいつも物語に救われて暮らしているな。

●今日から少しずつモスクワでの体験をことばにしていくつもりだったが、どうこう言っても、やはり胸にぽっかり穴が空いていて、とても無理。
 そのかわりに、ロシアの朝夕の空を回想し、Etceteraにアップした。


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