Journal
INDEX|back|next
| 2003年01月22日(水) |
老いるということ。今を生きるということ。 |
●今携わっている仕事で、二人の老俳優に参加してもらっている。お二方とも、70代中盤。そこにいてくれるだけで味のある、貴重な俳優だった。 今日、そのうちのおひと方が、稽古に遅れてきた。家を出たのは早い時間だとわかっているのだが、稽古場にはたどり着かなかった。ご本人も遅れてきたという自覚がなかった。先日は、更衣室で失禁し、その匂いに閉口する声が、密やかに聞こえてきた。 本日をもって、演出家とプロデューサーの談合の上、仕事をおりることに合意していただいた。
●2年前、ご一緒した時には、ことあるごとにかつての演劇界の話をして、わたしたちを楽しませてくれた。「ぼけちゃったんじゃないの?」ということばが、まだ冗談として通用していた。でも、この2年で、彼は本当の意味で、ぼけてしまった。……老いるという、避け得ないこと。 一人暮らしの彼は、仕事を奪われ、明日からどう暮らすのか? ようやく覚えた台詞は、彼の中でどうなってしまうんだろう?
●降りていただくということでしか、問題を解決できない。そこが仕事場である以上。でも、わたしの中にわだかまりが残る。わたしも1日1日、そこに向かって生きているのだもの。 女ひとり、結婚もせず、収入が安定しているわけでもなく、苛酷な世界で精神と体をいじめて闘い続けている。自分を慰撫することを、知らずにきた。
●昨日、貴乃花関の引退で考えたこと。今日の降板劇で考えたこと。 まっすぐ帰る気になれず、また恋人と酒を飲んだ。そして、明日には、また早起きして、現場へと向かう。とりあえずは、今を生きること。
|