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| 2003年01月23日(木) |
それぞれの暮らし、ともにする仕事。 |
●我が家から稽古場までたどり着くのに、乗り換え2回。電車に乗っている時間は、のべ45分。5分、10分、30分の割合。最後の30分の電車に乗り込んだら、まず携帯のアラームを到着の1分前にセットする。そして色の濃いサングラスをかける。わたしの大事な睡眠時間の始まり。眠くない場合は、迷わず新聞を広げる。……朝、毎日毎日、繰り返していること。
最寄り駅に着いたら、途中のコンビニで、朝と夕の御飯を買う。昼はほぼ食べる暇がないので、省略。選べるものはおにぎりかサンドイッチ。迷うこともない。
10時まで働いて、また電車に乗り込む。馬鹿話をしたり、稽古場で終わらなかった打ち合わせを続けていたり。そして、ほぼ2日に1日の割合で、美味しい食べ物と美味しいお酒と、美しきおしゃべりを求めて、寄り道をする。真っ直ぐ家に帰る気になれない。
毎日、そんなことの繰り返し。外から見ると、実にドラマティックで、実に責任の重い、かつ派手な仕事をしているようだが、現実は地味なもの。
●このたび初めて一緒に仕事をする若い舞台監督と、帰り道、ちょっと話をした。「大変でしょう? 朝起きるの大変じゃない?」と訊くと、「かみさんがコーヒーを挽く音で毎朝起きちゃう」と言う。かみさんの起きる時間は、彼が毎朝起きる時間によって決まる。 同じ仕事をしていても、生活はそれぞれ。仕事が終わったら、とにかく早く家に帰りたい人、そうでないわたしのような人。
でも、こうやってまったく違う人間が、集まって、ともに過ごして、1日1日を懸命に過ごしているうちに、ひとつのものが出来上がる、と、そんな仕事。
●昨日、仕事を降りたはずの老俳優が、3時頃、ふらりと稽古場を訪れた。現実を、きっちり認識できないのだ。 傷つけないようにと、「今日はたぶん出番までいきませんから帰ってもいいですよ」と告げると、「いやいや、見てますよ」と言いつつ、机につっぷして寝てしまう。そして、わたしが忙しく立ち働いている時、知らぬ間に帰っていったらしい。 胸が痛んだ。胸が痛んでも、そのたび誰かの力になれるわけでもないし、仕方ないから、自分の選んだ仕事をまっとうしようと思う。その仕事の積み重ねが、劇場に足を運んでくれる人たちの心を、少しでも動かし続ける限り。
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