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| 2003年03月08日(土) |
偶然の産物としての、わたし。●愛のつづき(イアン・マキューアン) |
●ああ、やっと家に帰れた。 あんまりにお腹が空いているので、恋人と行きつけの飲み屋に着いたのが、もう1時過ぎ。(太るよな、そんな時間の夕食なんて) ビールと、お総菜めいたつまみと、御飯をもらって、頬張る、頬張る。おなかも一杯になったところで、幸せに帰るつもりが。 そこへ、恋人がよく一緒に仕事をするスタッフ仲間がふらりと現れ。
●お酒を飲んで面倒くさくなる人って、たくさんいる。 その要因を、わたしは、かなりおおざっぱに、こう見てる。
ひとつは、自分を愛しすぎている人。つまりは、自分を基準にしてしか世界を見れない人。 もうひとつは、自分の愛し方を知らない人。つまりは、人に対しても、自分に対しても、ストレスのたまりやすい人。
わたしはお酒を飲んで、酒に負けて翌日ギブアッップすることはあっても、絶対人にからんだり迷惑をかけたりしない。だって、お酒様に失礼だもの。
まあ、なんだか、からみ酒する人とたまたま同席してしまって、自分の眠りをちょっと減らしてしまった夜。
それでも。
いつもなら、恋人と幸せに御飯を食べて、お酒を飲んで、分かれる、といった日常が、ちょっとした偶然で違う展開を見せるっていうのは、そんなに捨てたもんじゃない。
わたしが現在の恋人に会えたのも、偶然のなせる技。すべては、こうした毎日の偶然から発することに、私自身の明日がある。
物語はこうして作られるんだな、と、過去を振り返って納得してしまうくらい、今のわたしは偶然の産物なのだ。もう20年つきあっている演出家との出会いだって、言ってみれば、偶然。
必然なんてことばは、死ぬ時にようやく分かることなのかもしれない。現在のわたしは、本当に、偶然に偶然が重なって、あり得た、わたしなのだ。
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