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2003年04月10日(木) 本の神様に感謝の物語。●穴(ルイス・サッカー)

●起きてしばらく考える。
 仕事のための「いつものわたし」を、どうしても用意できそうにない。打ち合わせのための資料は昨夜のうちに準備ができているのに、資料とともに連れていく自分の準備ができていないのだ。
 この2,3日のうちに行けばよい、1対1の打ち合わせなので、体調悪しと電話して、明日にしてもらう。相手が仕事し慣れた相手なのでよかったものの、いい歳して、わたしはこんなことを言っておる。まったく、この「わたし」という人は、つきあいきれない。

●読みかけの本を持って、近所の河川公園へ。ここはちょっとした桜の名所。
 
 花びらがちらほら散りゆくベンチで読了した本は。
 ルイス・サッカー著「穴」。また、友だち全員に奨めたい本を見つけてしまった。
 まずい時にまずい場所にいたために、罪の濡れ衣を着せられた少年スタンリー・イェルナッツは、少年院がわりの更正施設に放り込まれる。そこは、もう水が干上がって100年たつ湖の跡。臑に傷もつ少年たちは、毎日毎日乾いた大地に、穴を掘り続けるという苦行を課せられる。いろんなタイプの少年がいて、子供とは言えいろんな人生のやり過ごし方があり、スタンリーはちょっとしたことから、穴掘りを通して冒険を強いられることになる。
 実はこの穴掘り作業、人間性を回復するための方策でもなんでもなく。
 実はこの湖の跡地に、イェルナッツ家の歴史が深く関わっていて。

 運命を受け入れがちだった少年が、自分の運命を切り拓いていく児童文学なのだが、その描き方が、ちっとも説教臭くない。(その手のものが、わたしはいちばん苦手。)やっとの思いで、小さな選択を繰り返していく先に、彼の冒険は始まる。その冒険をはらはら追いかける読者の前には、シンプルな伏線が実にナチュラルにしかれていて、すべての物語進行を、ストレートに納得させてくれる。
 その伏線、これがまた、愛せるものばかり。人生が愛おしくなる類の伏線ばかりなのだ。強者にも寄らず、弱者にも寄りすぎない、人生のつぼを押さえた伏線としての物語たち。

 この本を今日という日に読ませてくれた「本の神様」に、また感謝。(まあ、本屋で選んで買ったのは自分自身なんだけれど。)
 この本は、わたしにとって、ちょっとした「触媒」になった。

●カメラを宅急便で受け取った父から電話。そうとう嬉しかったらしく、ふだんの無口が、大変な饒舌に。
 夜には母から電話。いかに父が喜んでいるかという報告。日がな一日、3台のカメラの調査とチューンナップで過ごしたらしい。母に言わせれば、「死にかけてても、珍しいカメラを目の前に見せたら、しゃきっとする」ような人だ。
 ふだん親不孝な娘は、実に幸せな気持ちになったものである。

 うーん、明日はいくらか軽やかに、仕事に出ていけそうだな。

※HPのEtceteraに、散歩みやげをUP。

※閉鎖していたBBSを、気まぐれに復活。3年前の記事は、とりあえず削除して。毎日書いていて、なんらかの手触りが欲しくなったのかもしれない。


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