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| 2003年06月02日(月) |
ホールデン君のこと。 ●The Catcher in the Rye(村上春樹訳)●巨匠とマルガリータ(ユーゴザパート) |
●野崎訳の「ライ麦畑でつかまえて」を読んだのは、中学生だったか高校生だったか。とにかくまあ、若かりし頃だ。 両親の扶養下にあって、6年制のミッションスクールに通っていて、誰とでも友達になるが、いつも一緒にくっついているような親友はいなくって、それは自分に問題があるのではなく、自分と友達になるにふさわしい人物が周りにいないだけだと思っていた。無駄な友情ごっこに時間を費やすよりは、もっと有効な時間の使い方をした方がいいと思っていた。ものすごく気が小さいのを隠す余り、いつでも皆より率先して動いていた。1学期に必ずクラス委員長になるタイプ。高校2年まではクラブ活動に熱中し、コンペで成果をあげ、表彰された。勉強の出来はそこそこだったが、3年になって受験勉強を始めると、学年1番に躍り出た。それでも、がむしゃらに勉強するタイプに見られるのが嫌で、へらへらを演じていた。世間、世界を見る視界は実に狭かったが、美しいものを探そう愛そうという意識が強かった。そのくせシニカルだった。人並みに恋をしたが、恋をする自分に酔っていたという方が正しい。これまた臆病なくせに行動的だった。その頃から破滅型を匂わせていたと言ってもいい。
●あの頃ライ麦畑を読んで、ちっとも面白いと感じず、うざったい読み物として投げてしまったのには、ちゃんとした理由があった。 わたしはホールデンと似た者同士だったのだ。同じような痛みや憤りを感じていたし、同じように、鼻持ちならない面倒な奴だったのだ。
●40歳を過ぎて読む村上訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、甘酸っぱい思いに囚われ、かつ、あの頃の感情の在処の曖昧な記憶が、こみあげるように追想される、実に実に愛おしい物語だった。 読んでる間中、わたしはずっとホールデン君に話しかけていた。 「ほら、そんなこと今言わなくったっていいでしょうよ」 「どうしてそうなっちゃうわけ?」 「またそんなわざとらしいことを……」 「わかる、わかるけどさあ、ほっときゃいいじゃない」 「あーあ、だから言わんこっちゃない……」 ってな感じで。まるで当時の自分に話しかけるみたいにして。 そしてまた。 鼻持ちならないところが似ているだけではなく、芸術に対する勝手な早熟ぶりってところでも、わたしとホールデン君は酷似している。歌い手や、ピアノ奏者、俳優の演技術に対する批判なんて、かなりイカシテいて、「なんだ、君、子供のくせして、わかってるじゃない」と話しかける。オリヴィエのことを論ずるところなんて、声を出して笑ってしまった。 ホールデン君の行動言動ひとつひとつに、強烈な懐かしさと、「ばっかだなあ……」とため息の混じった愛情を感じる。 ●物語の最後には、不思議な感じを味わった。 わたしはもう、ミスタ・アントリーニの世代だ。彼は実にまっとうな教師でまっとうな人間で、ホールデンへの対し方にも、年齢にふさわしい責任感と愛情が感じられる。わたしはまさしく今、そちら側にいるし、社会に対して、そちら側に立っての責任を担っている。でも、ずっとホールデンの行動につきあった流れでミスタ・アントリーニに出会うと、なんだかホールデンの側に立って、「そんな分かり切ったようなこと聞くのはうざいんだよな」って気持ちにも、なっていたりするのだ。世の中の、正しいとされることへの、嫌悪感不信感っていうのかな。そういう、ちょっと正しいこと当たり前なことに、斜に構えていたいって感じ。 わたしの中で、かつてのわたしと今のわたしが、対峙する。不思議な感覚。
●そして、なんと言っても、フィービーの存在だ。彼女に関して、意味を語り出すと、くだらない小説論になってしまうのでやめておこう。 大事なことは、ホールデンにはフィービーがいたってことだ。 フィービーのためにレコードを買う時間、持ち続けた時間があって、バラバラに割ってしまう瞬間があって、その先に、「そのかけらをちょうだい、しまっておくから」と手を差し出すフィービーがいたってこと。そしてまた、フィービーがスーツケースを抱えてきた時間のちょっと先に、回転木馬の時間があったってことだ。 わたしは、ホールデン君と一緒になって、フィービーが回転木馬に乗る姿を眺めた。わたしも、あやうく大声をあげて泣き出してしまいそうだったし、ぐるぐる回り続けるフィービーの姿が、やけに心に浸みた。ホールデン君が「いや、まったく君にも見せたかったよ」と言うように、わたしもわたしの周りの人に、そのフィービーの姿を見せたかった。
●この物語は、全編、ホールデンが誰かに語りかける体裁を取っている。彼が誰に向かって語りかけているのかは明示されない。彼は相変わらず当たり前な人生の波に乗り切れていないような感じだし、もしかしたら、精神病院につっこまれてしまっているのかもしれない。とすると、彼の語りは、ちょっと空しいものになる。でも。読後、わたしの心は明るい。「平気、平気。そんなもんでしょ」と彼に伝えたくなる。「ちゃんと生きてれば生きてるほど、わかんないこと多いよ。おかしいと思わないやつらの方がおかしいんだよ」と。ま、16歳を生きるホールデン君にそんなことストレートに言ったって聞いてくれないのは分かってるから、心の中で。「待ってるよ」と告げる。
●村上氏の翻訳は、とっても優しい。村上作品を追い続けてきたわたしには、この仕事は、「この物語は、みんな人生に2度読んでみた方がいいと思うんだけど」と薦めてくれるメッセージのようにも感じられた。そんな風に思ってしまうのは、何より、村上さんがこの物語を愛していることの証だろう。 敬愛するレイモンド・カーヴァーを紹介してくれたことと言い、わたしは大学生の頃から、ずいぶん色んなことで村上さんにお世話になっている。 何処か知らないところで、今日も走ったり、今日も書いたり、今日もビールを飲んだりしている(あくまでそういうイメージの)村上さんに、わたしはぺこりと頭を下げて、お礼を言う。「またお世話になりました。ありがとうございます」
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