Journal
INDEX|back|next
●気持ちのいい日が続く。相変わらず、本を読み、ジムに行って体を動かし、芝居など観たりして、思いつくことを気ままに書き留めたりして、過ごしている。 整理をして掃除をしてみると、仕事でとっちらかっていた時の我が家とは別の部屋のよう。そうなると、さらなる心地よさ、気持ちよさを求めて、毎日、マイナーチェンジを繰り返している。今日は時間があったので、隣駅のホームセンターまで自転車で行き、あれこれと生活快適化グッズを見繕う。こういうことが、思うほか楽しい。レジのお兄さんに、「え? これ全部自転車で持って帰るんですか?」と驚かれるほどのあれこれを入手して、片手ハンドルで大きな荷物を抱えつつ、帰宅。わたしは自転車にとっても上手に乗れるのだ。
●わたしは小学校2年生まで自転車に乗れなかった。小学校にあがっても補助輪をつけているわたしを見かね、家の前の歩道で母による大特訓が始まった。なにせ辺鄙な街だったし、たまにしか人が通らない。(保育園の頃は、確かまだ農耕牛が歩いてたっけ)格好の練習場だった。でも、わたしは小さい頃から見栄っ張りだったのか、わずかな人通りでも、自転車に乗れない自分が恥ずかしくてたまらない。人が通るたびに練習を中断しようとする。でも、母はそのたびに、わたしを叱った。今の自分を認めないと先にいけないってことを、きっと教えてくれてたんだな。 あの時の母の教授のおかげで、それ以来、自転車はわたしの唯一無二の乗り物になった。 自動車免許を持っていないから、何処へだって自転車で行く。何だって自転車で運ぶ。 こんなに自転車を愛しているのに、東京に出てきてからというもの、とにかく自転車を盗まれた。これでもかって言うほど、盗まれた。だからこそ、仕事が終わって最寄り駅までたどり着いて、自転車があるべき場所にあると、「おお、待っていてくれたんだね」と、ささやかに喜びを覚える。時には、深夜の自転車投げおじさんに川の中に放り込まれ、神田川八墓村状態ではまりこんでいることもあった。(これはショックだったからいつか日記に書いたと思う。)ぼこぼこにハンドルを曲げられていることもあった。防犯登録を剥がされて、わたしの自転車なのに、因縁つけられておまわりさんに連行されたこともあった。そんなこんなの不幸を免れて、当たり前にそこにある、という喜び。 大阪に長期の旅仕事に出ることがよくあるが、そんな時は中古の自転車を買う。何軒か安い店を知っていて、運がよければ、4000円で買える。一ヶ月の足だと思えば、決して高くない。それさえあれば、何処へだって行けちゃうんだもの。難波から梅田なんてあっという間。大阪城公園の中を乗り回すのも楽しいし、大阪の川沿いってのはなかなか気持ちよく整備されていて自転車乗りを喜ばせてくれる。また、調子に乗って適当に走っていたら、浮浪者ばっかのバラック街みたいなところに出てしまったりして、これがまた楽しい。宮本輝の名作「五千回の生死」をはじめて読んだ時は、だから、興奮したな。大阪の街を見知らぬおっさんと二人乗りして、「死んでも死んでも生まれてくるんや」と、この世のことじゃないような時間を過ごす主人公の気持ちに完全に同化しちゃって、物語の内容をまるで自分の過去の体験のように覚えていたりする。 大阪を離れる時は、いつも、難波のどこかに乗り捨ててくる。きっと何処かの誰かが「鍵ついてへんのあらへんかいな」と物色してくれて、一夜の、あるいは長きにわたる、足になってくれるんじゃないかと思って。これを周りの人に話すと、「そんなのただの放置自転車じゃないか」って言われるんだけれど、わたしはこれが本当の「リサイクル」だって思ってる。ま、最近は折りたたみ自転車を購入したので、荷出しの時にみんなにぶつぶつ言われながら、道具と一緒にトラックで運んでもらう。とにかく自転車があれば、街は数倍楽しくなる。 体力だけはあるので、幾つになっても、自転車にわたしは乗り続けるんだろうな。それもびゅんびゅん飛ばしながら。幾つになっても、片手離して、両手離して、風をきっちゃうんだろうな。苦しんで坂を上れば、いつか坂を下る快感が待っているのだというときめきを、幾つになっても楽しむんだろうな。車を持つ人生とか、バイクに乗る人生に憧れがないといえば嘘になるけれど、自転車だってずいぶん楽しい。実に楽しい。 恋人と二人乗りして、おまわりさんに追っかけまわされたり、二人乗りのままウィリー走行して、あまりのわたしの重さに後ろにずっこけて恋人が大けがしたり、友人に大事な荷物を運ぶため、「走れメロス」の心境でバイク並みのスピードで自転車を飛ばしたり、貧乏で電車賃もなくって、無茶な距離を自転車で通ったり、帰らない恋人を、一晩中自転車の荷台に座って待っていたり、まあ、自転車にまつわる思い出は数知れない。 乗り物とか、あらゆる身の回り道具、物たち。命のないものが、命のあるもの並に、自分の人生に深く関わってくれて、愛おしいと思うことがよくある。なんだか面白いな。
●恋人が訪れている。深夜の食事は、ゴーヤーチャンプルに、マカロニサラダ、みそ汁仕立てのにゅうめん。食べ終えたら、彼はわたしのデスクですぐに仕事再開。わたしは台所で、こうしてどうでもいいことを書き留めることを楽しんでいる。もう外は明るい。カラスがしきりに呼びあっている。また朝がきた。
|