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| 2003年07月15日(火) |
日々を楽しく。●吾妹子哀し(青山光二) |
●90歳で現役作家。青山光二氏の「吾妹子哀し」を読む。わたしの中ではすっかり文学史の中の人となっている織田作之助と青春時代を共にした、というところから、もう、書き続けているだけですごいと思ってしまう。 40歳を過ぎただけで、物忘れが激しくなったなどとぼやいているわたしは、その文章のみずみずしさに驚く。宇野千代さんの文章をリアルタイムで読み、尊敬の念をそのたび強くしたことを思い出す。もちろん宇野千代さんの場合は、その大胆な生きっぷりにも女として傾倒し、師と仰いでいたわけだが。
A氏はこうして書いているわたしの後ろで、ソファーに寝そべって眠りこけている。恋人から、明日起こしてくれと電話がかかってくる。
わたしはただの強欲な女で、いずれは二兎を追う者として、断罪されるのだという気もしている。 またその一方で、これだけ二人を一人ずつきっちり愛しているのなら、それが嘘偽りのないわたしであるので、どうしようもないと、開き直ってもいる。 わたしがそういう女と知って、A氏は丸ごと許容してくれている。どうであれ、今が幸せだと言ってはばからない。
小説を読みながら、やはりわたしは、そういう自分の現在を考えるわけで。人生の転機にあるわけだから、もうそれを楽しんでしまおうとも思っている。何も為さなくってもかまわない。好きなだけ考えて過ごそうって。そうこうしているうちに、どんどん仕事の影が押し寄せてきていることだし。
●休みで時間があるからと書き始めた本の紹介文だが、このところはすっかり、読んだら書くというのが習慣になってしまった。 どうも、読んですぐに本棚に戻してしまうより、ディープに体験できるような気がするし、自分の作品へのこだわり方、その偏向性が明らかになって、面白い。 後になって自分の書いたものを読んでみると、どうも偏りを感じる。読書している時には平衡感覚を持って読んでいたのに、だ。……何か、こう、感想文という形を使って、わたし自身が何か言いたいみたいな、そんな押しつけがましさを感じて、ちょっと自分でもおかしくなってしまう。まあ、それはそれで自分であるので、今はよしとして、書き続けている。 基本的に、薦めたい本を書こうとして始めたことなので、つまらなかったものには書いていない。酷評文も書き出せば、何か違う面白さが出てくるかもしれないな。
●いよいよ始まるあちらのオールスター戦。野茂が初めて出場する時も、出勤前テレビにかじりついたっけ。 イチローと松井が、今の日本人にとって、いちばん共通の明るい話題ではないかしらん。まあ、一部阪神ファンは別だろうけれど。
小さい頃、巨人が勝った翌朝には、食卓にスポーツ紙が何紙も並んでいた。父が早起きして駅のスタンドで買ってくるのだ。すっかりそんな父に影響されたわたしは、根っからの巨人ファン、野球ファンになった。だから余計にそう感じるのかな。
夢を叶えようとする人を見ることは楽しい。勝ち負けがはっきりするから楽しい。勝ち負けに関係なく余白に物語が生まれるから楽しい。自分の選んだ世界とまったく違うから楽しい。
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