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| 2003年09月07日(日) |
休日にすること、考えること。 |
●休日にすること。 たまりにたまった洗濯籠をクリアにする。日頃買い物できない日用品を補充する(歯ブラシだの、シャンプーだの、超日用レベルの)。とにかく掃除する。片づけて、掃いて、拭いて……。読めなかった新聞をまとめ読みする。さらに。ゆっくり本を読む。ゆっくりお風呂に浸かる。少しだけ仕事する。 朝起きたときには、なんだかぼうっとして、疲れに我が体を思うさま支配されていたが、奮起して休日メニューをこなし始めると、少しずつリフレッシュしてくる。なんたって、1週間に1度でも、繰り返しを破るということが、精神衛生に良いのだ。
●新聞の三面記事の隅っこに、ペテルブルグのマリインスキー劇場の倉庫が焼失したとの記事を見つける。……これって、劇場の仕事をする者たちには、もうすっごい痛手。(マリインスキーはモスクワのボリショイと並ぶオペラ、バレエの殿堂。最近は観光化されたボリショイより質が高いともっぱらの評判) 日本で演劇がいつまでたっても商売として成立しにくい一番の理由は、レパートリーシステムを取ることが難しいこと。持ち劇場はわずかで、ほとんどが貸し小屋。そして、道具を取っておくにも土地がない。近い再演の目処がたっていなければ、倉庫代の予算などとても出ない。 海外に出て、ロングランを続ける、再演を続ける作品を観て、わたしはいつも羨ましく思う。だからこそ、ユニオンもしっかりし、アンダースタディーから次代のアクターが育ってくるというものだ。なんたって、本番の舞台が俳優を育てていくのだもの。
で、その倉庫が焼けてしまうってこと。 小さな小さな記事だったけれど、わたしはそこから派生する様々を想像して、胸を痛めた。
●「ヒトラーとスターリン」の一区切りを読み終えて、ちょっと物語に浮気。東野圭吾の「殺人の門」を読み始める。……他者を「殺したい」という、誰の胸にも一度は巣くいそうな思いを、突き詰めようとするものだ。 このところ、「疾走」「孤独の歌声」「うつくしい子ども」と、現実に繋がる犯罪ものばかり読んでいるが、いったいこれらの出版される意味は、執筆される意味は、どこにあるのだろう? 現代を、現代人に示唆する為か? 安穏と生きる人への警鐘か? それとも、現代をどう切り取るかという文学的興味か? 救済の意味などもちろんないのは分かっている。現実的な問題解決から遠いものであることも分かっている。これらの言葉が少しでも意味を持ちそうな人々が、これらを読まないことも知っている。 それでも、わたしは読む。単なる物語として。 ちょっと疲れてしまうのも、無理はないな。 やっぱり、「ヒトラーとスターリン」に戻ろう。
●明日、恋人が日本に帰ってくる。
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