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2004年04月27日(火) 見えない目。

●解放された人質の男性二人が、メディアの前に現れた。日本という国に戻ってきて、彼らはどんな喧噪に巻き込まれ、何をどう感じ考えて過ごしたのだろう?
 30日に開かれるという記者会見で何が読み取れるとも思わないし、彼らの内面の旅がどのようであったかなど、想像の及ぶところではないが、それでも、わたしはあり得ることを想像しようとしてみる。考える。

●昨夜、パトリシア・アークエットの監督した映画「デブラ・ウィンガーを探して」を見る。40代になって、表現と生活の板挟みで悩む彼女が、同世代の女優たちを訪ねてまわり、そのインタビューを構成したもの。
 心にふれる素顔を見せる女優もいるし、飽くまで女優としての発言の枠を守る女優もいる。どちらも正しい女優の姿。
 その幾つかは、40代になったばかりのわたしの琴線に触れるものだった。

 すっかりおばさんになったテリー・ガーはかつてない魅力を感じさせるし(「ONE FROM THE HEART」や、「トッツィー」の彼女は、等身大の女性を演じて素晴らしかった)、引退したことを揺るがぬ強さで肯定するデブラ・ウィンガーには、人生には無数の可能性があることを知りつつ、自らの選択に生きる、大人の強さと孤独を感じる。
 もう女優に戻ることはないと確信しつつ、演ずることのすばらしさを語るジェーン・フォンダのことばには、涙を禁じ得ない。……恵まれた俳優は、当たり前に人生を生きているだけでは決して味わえない、濃密な時間を体験することがある。それは蜜の味だ。……蜜の味がどんなものであるか知り尽くした彼女が、戻れないものとしてそれを語ることは、人生の歓喜と哀切を同時に語ることとなる。

「NO MAN’S LAND」に、サラエボの現地レポーター役で出演していたカトリン・カートリッジは、2002年に41歳の若さで亡くなっている。その彼女もインタビューに応じていた一人で、飾らない当たり前な笑顔をふりまきながら、
「情熱がなければ、朝がきても起きられない。せめて情熱がなけれね」
と語っていた。自らに直後突然ふりかかる死のことなど知りもしない彼女の、そのおおらかなしゃべり方は、生きることを讃える力に満ちていた。

●北朝鮮の爆発事故の映像が配信されつつある。そこに映る情報だけでも、目を覆いたくなる悲惨さだ。ただ、その映像の向こうに、どのような隠蔽作業があり、どのような作為があるのかはわからない。
 9.11があれほどに衝撃的だったのは、事故の映像が同時配信されたことの力が大きい。だって、世界では時を同じくして、悲惨なことがそこかしこで起こっていた。わたしたちは、それを映像という手段で知らされていなかっただけのことなのだ。

 わたしたちは、明きながら見えない目を持っている。それゆえにコーディーリアを喪ったリアのように。



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