心地よいあたたかさになってきている。 コートはもういらないくらいに。 頭の中にこもった熱を春の雨が奪っていく。 霧のような雨は冷たくて、顔いっぱいに広がって、それがなんだか気持ちよかった。
あたたかさと冷たさが気持ちよかった。
書き過ぎた反動か、今日はボ〜っとしている。 明日には戻るかね。
<Think about the father>
あれは高校2年の3月。もう春休みに入っていて、次ぎに学校に行くときは3年生になる時だった。
私の通う学校は、ハッキリ言って進学という観念が薄い。ほとんどの生徒は就職するか家業を継ぐかして社会に出る。大学への進学を考えるものはほんの一握り。3年生の5%を割っているだろう。 私はその5%を目指していた。正直、この学校に入ったときも最初から進学するつもりでいた。 知識を得ることは嫌いじゃなかったし、自分の好きなものの不思議を解き明かしていくことは最高の快感だ。難解な数学問題を10分も20分もかけて解いたときや顕微鏡をのぞいて細胞を確認したとき、脳内麻薬がすさまじい勢いで流れ出ていただろう。うん、そうだ。私は理数系が大好きだったのだ。 文系に関しては普通かそれ以下の理解力だったが、時間をかけて『試験で点数を稼ぐ勉強』をしていた。見栄えよく、本当はわかっていなくてもそれなりに正解する勉強。こっちはただの苦痛だったけど、好きなことをやるのに不可欠だったから、やらなきゃいけないと思っていた。 好きなことをするのに努力なんてしない。だって、努力というのはできないことをやるためにすることで、楽しいことをさらに楽しくしようとするのは好奇心というなの欲望だった。「がんばっているね」とかけられた声も、私にとってはただ楽しんでいる行動を勝手に他人が評価しているだけだった。がんばっているなんてとんでもない。目標を決めて好き勝手やっているだけで、がんばるのはこれから。何の特にもならない「受験用」勉強に切り替えて楽しい勉強を我慢することの方だった。
それは部屋で本を読んでいるときのことだった。 父と母が「話があるので居間まで来るように」と言ってきた。 私も父に話があった。まだ話していなかったけれど、○○大学に照準を合わせることにしたのだ。○○大学は家からも通える距離にある。私学なので金銭はかかるが、一人暮らしをすることを差し引けば自宅から通った方が負担にならない。自分のやりたいことと少しでもよけいな負担をかけたくないと悩んだ末の結論だった。
居間に行くと、父と母が神妙な顔をしていた。 とりあえず、先に話を聞くことにした。 話があると呼び出したのは両親の方だし、進学の話は後でもできることだったからだ。 しばらくの沈黙の後、母が言った。
「おまえ、進学するのあきらめて就職してくれないか」
なにを言っているのか理解できなかった。理解したくもなかった。 しばらく喋ることを忘れて両親からの一方的な通達を受けていた。
要すると、父には家に内緒の借金があり、そのことが今になって母親に知られた。生活自身は何とかやっていけるのだが、進学費用などの余裕はない。ここは家を助けるつもりで私に就職をしろ。できることなら少しでも家にお金を入れてほしい。
悔しいことに、道理のわからない年ではない。 17歳という年齢は社会的に未成年と見られていようと、親の保護下にあろうとも、学校で友達と笑っているとしても、しっかりとした意志や思考ができる年齢だ。 現実を知っている。奨学金やアルバイトをしながら・・・というのは、今日からではどうにかならない。不可能なのだ。奨学金を受け取れる成績ではない。アルバイトをしながらお金を貯めても十分な額にはならない。勉強時間を削れば受かる自信などない。ないないづくし。完全に頼っていたものがなくなり、自分でどうにかすることも不可能。できることはあきらめることのみ。 でも、そんなに素直にあきらめられない。意味のない反論をしようとしたとき、父は言った。
「大学に行っている兄や私学に行くことの決まった妹にやめてくれとは言えないんだ。おまえなら、あきらめるだけでいいんだ」
正論を説く父の言葉、私にはこう聞こえた。 「長兄や長女のほうが大切だ」と。 私は進学することをあきらめた。
私の楽しかったことはそれ以降、色あせてしまった。先が見えるから歩くことができる。真っ暗な世界では自分が進んでいるのか、それとも同じ場所をぐるぐる回っているのか見当がつかない。もっと上を望んでいたから、今が楽しくて確かな手応えを感じられるのだ。 正論ほど納得できず、邪なへりくつを考えたくなる。そうやって逃げられれば楽だから。落ち度は自分にないと偽れるから。
自分のことで思うことがある。 それは兄弟妹の中で一番必要とされていなかったのは弟ではなかったのかと。 昔気質な父にとって跡継ぎの息子がほしかったはずだ。それは第1子の兄で十分だった。 次にほしかったのは息子だろうか?娘だろうか?それとも、どちらでも関係なかったのだろうか?妹のことで父から聞いたことがある。 「もし妹でなく弟だったとしたら、妹が生まれるまで子供をつくっていた」 酔いながら告白する父。私が息子でなく娘だとしたら、妹はこの世に生を受けていたのだろうか?確認したことは、ない。確認してただの『はずれ』だと認められたら耐えきれなかったことだろう。
それから2年後、兄は順調に勉強をしていた。強い希望もあり、大学院に行くことになった。 その間に聞いたことがある。
「兄さん、大学院に行くことになったね」 「ああ」 「家計、苦しくないの」 「苦しいだろうな。でも、あいつの一生に一度のことだからな」
『・・・・・・・・・私の一生も、一度しかないのに』 その一言は言わなかった。
つい最近、自宅に怪しげな勧誘の電話が、これこそひっきりなしにかかっていたときのことだ。 父も腹立たしかったのだろう。酔っていることもあった。それらしい電話をとったとき、こういった。
「死にました」
相手も混乱したことだろう。周りで聞いている家族も混乱した。いったい、なにが死んだのか? すぐに電話は切れた。 その後に父は言った。
「おまえ、死んだことになったから」
勧誘の世界で私にはドクロマークがくっついた。斜線か黒マーカーかわからないが、消されたのだろう。 それに関して、私はなにも言わなかった。勧誘を手っ取り早く断る方便だと自分に言い聞かせ、笑った顔で「ひどいなあ」と言った。
次の日、また父が電話をとった。 そして、言った。
「△△(兄の名)はアメリカに留学しました」
父の中で私は殺しても構わなく、兄は勉学に励む誇らしい息子なのだろう。 私は思う。父にどのくらい必要とされているか考えたり答えを求めたりする必要はない。「おまえは間違いで生まれたのでなんにもやってやる気はない」と断言されてしまうなら、それはそれですっきりすることだろう。 父のご機嫌をうかがうために生きているわけでも、父に何かするために生きているわけでも、たぶん、ない。起因が間違いだったとしても、こうして育てられ、考えて、そうして、生きている。誰かのためとか、何のためとか、理由づけるのは後で決めればいい。誰にも必要とされていなかったのなら、必要と認めてくれる人を捜せばいい。使われることがサガの道具は使われなくなるとすぐに朽ちると言うが、私は道具でなく人間だ。朽ちるまで待っているのでなく必要としてくれるものを探しに行けばいいのだ。一人も必要としてくれる人がいなかったって、証明するには100年あったって足りないことだし・・・・・・・・・本当に不必要のがらくたなのかわかるまで、まあ、生きてやろうか。
私の名前はあまつばめ。 〇〇〇〇という人間の中に住んでいます。 こいつは年がら年中
笑って 怒って 踊って 眠って 泣いて 歌って 憎んで 悩んで 騒いで 和んで 呆れて
悲喜こもごも、百面相をする奇妙なヤツです。 人に伝えるのがへたくそなくせに、いつも誰かに伝えたがってます。 今日も巣に帰った私をつかまえて話をしたがってます。 そこのあなた。 そう、あなたですよ。 他にいないでしょ? 代わりに聞いてやってくれませんか、こいつの話を。 私は疲れたので寝たいのですよ。 じゃあ、任せましたよ。
<一人称> 文字の上では『私』と表現している。たぶん、これが一番しっくりしていて使いよいからだと思う。 生活の中で、『私』のことをなんと呼んでいるのだろう。思い返してみた。
・・・『僕』 ・・・『自分』 ・・・『俺』 ・・・『私』
いろいろ使っている。 考えてみれば当然だ。
『僕』のとき、下の存在ということを相手に示している。幼く感じさせてあいての庇護下にあると思わせたいのだ。 『自分』のとき、型どおりのことを感情なくやっている。苦しいとかつらいとか感じたくなくて『自分』の殻に閉じこもっているときだ。 『俺』のとき、とにかく優位にたちたがっている。言葉だけでも大きく見せて相手を脅している。
人が人に接するとき、仮面で本当の顔を隠すという。 それは素の顔が傷つきやすく、それ以上に傷つけやすい性質を持っているから。 ハリネズミたちが寒さに震えていても、身を寄せてあたためあえないように、近づき過ぎないように一定の距離をとるように。
私の本音に近い姿は『私』だと思う。 『僕』『自分』『俺』その他色々も間違いなく本音を言っている。ただ、誰かに気に入られたくて節操なしに媚びている部分がある。そういう態度をとっているほうが敵は少なくなるし、楽に生きられる。 洋服をかえるように人に合わせて態度を変えるのが上手な生き方だろう。
『私』を使うとき、思っていることしか言わない。 仮面をはずしているから、嫌な部分が跳ね返ってこない。 キザだけど、人に散々言われるけど、『私』に嫌われたくないから。 『私』に媚びている『私』。
一人称はたくさんありすぎて面倒だ。
<かっこいい> かっこいい人ってどんな人? 考えてみた。
正義のヒーローはかっこいい。それはやっぱり正義だから。 悪の親玉もかっこいい。それはしっかりと悪だから。 考えている人がかっこいい。それは真剣な表情だから。 笑っている人ってかっこいい。それはあたたかくしてくれるから。
結論は 『何かしている人』=『かっこいい』
<名> どのくらいだろう。本当の名前で呼ばれることは。 生まれたときに親から名前をもらう。 仮に男の子、『山田太郎』としよう。
幼児のとき、『太郎ちゃん』って呼ばれる。 10年経つと、あだ名で呼ばれる。 さらに10年経つと、山田さん。。 結婚すると、山田さんちのお父さん。 子供が大きくなると、山田のおじさん。 ちょっと進むと、山田のおじいちゃん。 たくさん経って、山田のご先祖様。
結局、『山田太郎』と呼ばれるのは、どのくらいかな?
<狂歌:苦しむ>
狂人は 苦しむことを 忘れ去り ただ苦しむは 普遍の人なり
<死者への冒涜> いろんな人が毎日生まれ、そして死んでいく。人間にいえる確実なことは死亡率が100%だということくらいだ。だから人にとって死というものは逃れることができないものなのだ。 死んだ人に対して心ないことをすると周囲の人間はわめく。まあ、今の世の中に信長みたいに墓前に灰を投げつけるようなことは無いかもしれないが、にたようなことをしている人はいる。金持ちが死ぬと縁遠い親戚や見知らぬ金貸しがわいて出る。生者の欲望が死者を冒涜している。 実をいうとこんな場合でなくても私たちは恨まれても不思議じゃないことを平然としている。 葬式帰り、家に入る前に塩で身を清めているだろう。清めるというのは汚いものを取り除いてきれいにすることだ。最期の挨拶をすることが汚れた行為だというのだろうか?死というものを汚いものとしているのだろう。本当に霊がいるとしたら、自分のことを汚いもの、腫れ物のように扱われることに怒りを覚えるのではないのだろうか? 必要以上に恐れ、汚く思う無自覚の私たちと自覚して行う冒涜とどこに違いがあるのだろう。幸か不幸か、死者は糾弾しない。
<悩み> 君が悩みを他人にうち明けるとき、すでにその答えは君の中に出ているのだよ。 君はただ、同意が欲しいだけなのさ。 本当に悩んでいるのなら、何について悩んでいるのかがわからない。 悩みの輪郭がわかれば、おのずと答えの形も見えるから。 君が悩んでいるのは、悩みをうち明け、変わってしまう答えへの恐怖なのさ。
<時計> 朝、起きると時計が遅れていた。 電池が切れかかっている。 指している時間は、まだ余裕のある時間。 すっかり信じてしまい、1つ遅い電車に乗ることに。
時計というのは一定のもので、いつも正しいと思ってしまう。 世の中に狂わない時計なんてないのに、それでも正しいと思ってしまう。
ふと、思ってしまう。 世界中の時計がちょうど同じ時間に同じだけ狂ってしまって、唯一自分の時計が正しかったら・・・おもしろくも何ともない。 たぶん、間違っているのは自分の時計だって言われる。 きっとそうだよ。
遅れた時計を見つめてしまう。 まさか、ね。
気持ちの切り替え すごくヘタ。 嫌なことほど忘れられない。
こんばんは、あまつばめです。 『読みモード』が発動しません。本や日記を読むのがいまひとつ気乗りしません。
かってに『〇〇モード』とつけていますが、要するにそんな気持ちになれないだけです。いつもだと1日で読み終わる量の文庫本が3日ほどかかっています。本を読みたい気持ちは残っているのですが、集中して読むことが出来なくなっています。 原因はわかっています。 いま、『書きモード』です。
6時間くらいパソコンを打って、どうでもいいような文章を創ってみたり、考えていたアイデアをまとめてみたりと創るほうに気が向いていってしまってます。 気持ちの切り替えが出来るまで自分の殻にこもった状態になるでしょう。 雑記向けの文書ができたら載せるつもりです。ただ、ちょっと落ち着いていないので変なものをだったら『ごめんなさい』です。 数だけは書きますが、週末まで一休憩します。
というわけで、明日から何の脈絡もないこと書くと思いますが見捨てないでね。 誰に言っているんだろ? あまつばめ
今日、仕事先でネコを見ました。 ノラですが春の陽気に伸びをする姿が可愛かった。 漁港がそばにあるためか、そこいらを探してみると10匹もいました。 みんな、体格良くて、人なつっこくて、のんびりした動きだったけど、そこがまた可愛いのだよ。
最初から煩悩爆発のあまつばめです。 一番の好みは黒猫です。それも子猫なら・・・・・・
暴走しないように話を切り替えます。 視力検査の結果がきました。 つい最近、職場での視力検査(VDT)をやったのですが、その結果です。 案の定、職場で最悪の数字でした。
矯正してあるので異常ではないのですが、一番の近視でさらに乱視と斜視が加わります。 どのくらい悪いかというと、メガネ屋で買おうとしたとき、 「その度はこのレンズでは作っていないので、こちらに変更してもらえませんか」 とレンズの質を下げられたことがありました。 すごく、情けない・・・・・・
コンタクトレンズにすればそこまで言われないのですが、細かい作業や目を酷使する場合はメガネのほうが楽なのでついついメガネにしてしまいます。 おかげでメガネを取るときは顔を洗う時と寝る時だけです。 お風呂でもはずすのが怖くてつけています。
まあ、そんな感じでメガネが必需品なのですが、最近、度入りのサングラスが欲しいのです。 今あるメガネを買ったとき、冗談で見積もってもらったことがありました。
10万円超えていました。
机上の計算とはいえ、もうちょっと安くなりませんか?
こんばんは、あまつばめです。 地方局とNHK以外はラジオの入りが悪く困っております。 ニッポン放送と文化放送が聞きたい。 でも、耐えられないくらいにノイズがある。 何かいい方法がないのでしょうか?
生きる死ぬ意味について考えてみました。正確には思い起こしてみました。自殺、しようとした時のことです。
公共の場でそれについて書くべきか書かないべきが考えていました。 書くと 「オマエ、『私はこんなに傷ついているよ』って自慢したいだけじゃないのか?」 そう思われるのが嫌でした。 実際に傷ついていることを見せびらかしたい私もいます。そうやって、私は他人とは違うんだと思い込むためなのかもしれません。『傷ついている』『真剣に考えている』というポーズをとりたいのかもしれません。 それらについて否定はしません。ある種の事実です。
でも、本音は楽になりたい気持ちなのです。 3年以上持ちつづけて、誰にも言っていなかったこと。自分の中で結論を出ていること。誰かに判断してもらって一区切りしたいのです。
前置きが長くなりましたが、それでも判断してくださるなら、どうぞ。
<1998年6月某日(土)AM8:00頃 横浜市栄区にて>
死のうと思っていた。
仕事も休みがちになり、日常生活もままならなくなっていた。
汚い4畳半が私にとっての世界であり、ラジオとテレビだけがコミュニケーションの相手。 食事は乾麺と缶詰。買い置きの2リットルペットボトル。 乾いたままのパスタと、缶詰入りのトマトやコーンを少しかじる。味なんかわからない。 3日かけて2リットルを空にする。汗で流れ出る分だけ。排尿は日に1度か2度。それでも、十分すぎる。
日差しが眩しかった。 カーテンの隙間からこぼれる光は、4畳半の居場所をどんどん奪っていくようで嫌だった。 はやく夜になって欲しい。 このまま夜になって、ずっと夜のままで、灯りがなくなって、真っ暗な世界になってくれればいい。本気で思っていた。
うつ病というのは厄介なもので、何もやりたくないくせに、嫌なことばかりはどんどん考える。私はいらないもので、死んでしまえって声が聞こえて、なんで生きているのかと自縄自縛していた。
腐臭がしそうな部屋の中で、一つの結論が出た。
「死のう」
口にしてみた。 たった、3文字。残っている力を全部使って出した言葉。すごく重かった。
包丁を手に取る。 あいにく、この部屋の刃物はこれしかなかった。カッターナイフは職場だし、カミソリもT字ではドコも切れない。
両手で握る。 手首を切る気はない。小説やドラマなんかで切っているのはパフォーマンスみたいなもの。鋭いカミソリで動脈をしっかり切って、傷口を水にでもつけないかぎり確実には死ねない。私は死にたいのであってそれ以外したくはない。苦しむとか痛いとかはどうでもよくって、ただ、確実に死にたかった。
ノドを突き刺すつもりだった。 ノドに当て、前のめりに倒れて、そのまま突き刺す。 首の骨まで刃が刺されば確実だし、ノドが血まみれになって呼吸ができなくなるのもいい。とにかく、手首より確実だろう。 立ち上がって、刃を近づけていったとき、視線が刃先に行った。 尖った鋭いそれは、狙いがつけられないほど揺れていた。
どこかまともに感情が働いているところがあって、怖いとか痛いとか嫌だとか死にたくないとか考えていたかもしれない。ロクに食事も運動も睡眠もとらなかったから体が弱っていただけかもしれない。 どちらが本当かは知らない。 でも、ふるえた刃先を見て、体が動かなくなった。
「どうして死のうと思ったの?」 理由なんかない。生きていくのが嫌になった。
「生きているって何?」 残酷なこと。他の生き物を殺して笑いながら食べること。
「食べることはいけないことなの?」 生きていく上で必要だけど、そのことに何も感じなくなるのが耐え切れないの。
「今、感じているからいいじゃないの?」 ちがう。そうじゃない。いや、それもちがう。わからない。
「わからないなら、わかるまで何とかしなさい」 じゃあ、生きろって言うの?そんなに残酷なことを言うの?
「言わないよ。自分で考えな」 ・・・・・・・・・
延々と自問自答をしていました。 刃先だけに意識を集中して、その揺れが質問で、泣いているのが答えで。 長いのか、短いのか、時間なんかわからなくなって、ずっとは先を見つめていました。
<PM7:30> 気がつくと畳の上で横になっていました。 気を失ったのか疲れて横になったのかは判断できなかったけど、左手に残っていた包丁が確かに死のうと思った証でした。 外は暗くなっていて、太陽とは違う街頭の灯りが差し込んでいました。 時計の針は7時30分を少し過ぎていました。 じっと手の中のものを見て、死にぞこなったんだと思いました。 何気なく、テレビをつけてみると、バラエティー番組がやっていました。その時は気づかなかったけど、日曜の番組です。刃先を見ていたのと倒れていたので1日半使っていたのでした。 テレビから流れる笑い声に、なぜか涙が出てしまいました。 悔しいのか、羨ましいのか、なんか吹っ切れたのか。 空っぽのまま笑って、そして泣きました。 番組が終わりました。まだ持っていた包丁を、近くにあったタオルでグルグルに巻いて、さらに紐で縛って、押し入れの中に放り投げました。 部屋中のゴミを袋に詰め、世界のいらないものをまとめてベランダに置きました。 何日?いえ、何ヶ月ぶりにかまともに食事がしたい気持ちになりました。とにかく何か食べたくなって、近所のコンビニに行きました。5〜6人前ぐらいの食べ物と飲み物を買って、部屋に持って帰り食べました。胃が受け付けず、何度も吐きそうになりながら、それでも1晩かけて食べきりました。
このときまから『死ぬ』と言う考えが消えていました。 『何もしたくない』『何もできない』という考えは消えませんでしたが、『生き延びてやろう』と考えるようになりました。 もっとも、この後まともに生活できないことを自覚して、実家(静岡)に戻りました。
死んでやろうと思ったとき、それはすごくずるい考えだと知りました。 生きていることはたくさんの生き物を殺して、たくさんの生き物に迷惑をかけています。 それを、私の命だからって勝手に死ぬのは、殺して迷惑をかけてきたすべてのものを否定すること、苦しんでいるならもっと苦しまなくてはいけないことを知りました。
生きるのはすごく楽しいことでもあり、すごく苦しむこと。 死ぬのはそこで勝手に満足して今までを全部捨て去ること。
私自身の考えはこんな感じです。
他人が「死にたい」と口にすると頭にきます。 「そこで全部捨てるって言うなら、私が全部引き受けてやる。背中を押してやる。私が『殺す』けど、かわりに苦しんでやる。絶対に自殺だけはさせない」 「生きろ」とは言いません。その言葉の残酷さに責任は持てませんから。
生きている以上、私は苦しみつづけるマゾヒストですよ。たぶん。
〜世界は美しくなんかない。 そしてそれ故に、美しい〜 <時雨沢恵一著 キノの旅 より抜粋>
こんばんは、あまつばめです。 明日出かける予定もあり、今日一日はのんびりです。 たまっていた本を読んだり整理したり。ホットミルクを飲みながらオコタでのほほんとしていました。
お昼ごはんを食べて本を読み終わったあとだから2時過ぎです。宅急便がきました。 普段はネコさんですが、今日はめずらしく飛脚さんでした。 私的なイメージなのですが、ネコさんとペリカンさんは個人や田舎からが多く、大都市の企業から来るのは飛脚さんが多いです。仕事場と自宅でしか判断できないので完全な偏見ですが。
受取人は私でした。 なんだろうなぁ?と思いつつ開けてみると絵本が入っていました。そのタイトルを見て思い出しました。
『キノの旅』
CDです。ブックレット・ドラマCDです。1月の中ごろ注文したものでした。
原作が電撃文庫から発売されている書籍で、現在5巻まで出ております。 この本は全体的にシニカルで人を食ったような感じがあります。 残酷です。話の中で結構人が死んでいます。主人公キノが殺す場面もあれば、まったく関係のない理不尽な面も。具体的な『死』の描写は少ないのですが、それでも、残酷なのです。 そして、この話はすごく考えさせてくれます。主人公が放つハンド・パースエイダー(注:パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)は、ただ、単純の意味しかもっていないのです。 自分の身を守ることだけ。
あまり書くと『絵の話』で批評する人となってしまうのでやめておきます。というか、批評批判はプロの方に任せます。こういう話、私は穏やかに読んでいたいだけなのです。
さっそく聞くことにしました。 6話で77分。単純計算では1話が13分程度です。まあ、ラジオで放送したということなので基本4話が10分、追加2話が残りでしょう。 1回とおして聞いてみて、いい話だということを再認しました。 もう1回聞くとき、ちょっと確認を取ってみました。それは原作とどのくらい違うかです。
もちろん、基本は同じです。 書き下ろしではないので文庫版と同じ内容です。 でも、文字にすることと言葉にすることは意味合いが違うのです。
文字は同じでもちょっとした抑揚や間でまったく違う言葉になることもあります。そのため、文字にしたほうが多くの描写を必要なるのです。 読みよい話というのは複雑になりすぎず的確に描写できるようにすることであり、聞きよい話は少ない言葉で多くを考えさせてくれること。私はそう思っています。
確認してみると、やはり削っています。もう、バッサバッサ。 本中のセリフとドラマCDのセリフでは倍半分でしょう。 背景描写など、言葉ではなく音なので、すごい省略でした。
音には音のよさがあります。 文字には文字、映像には映像のよさがあります。 それらは心の薬。多くの感情を生み出します。
音や映像など、五感を即直接刺激するのは即効性の薬みたいなものです。急に近づいたと思うとすぐにいなくなる。簡単に忘れてしまうもの。 文字や言葉など、意味を考える刺激は遅効性の薬のようです。すぐには効かないけど、じんわりと残っている。簡単に忘れられないもの。
その後も、書き下ろしの話を読み、改めてじんわりとしました。
それにしても、各巻の中表紙に書いてある1行詩のようなもの。それがすごく好きです。 見方を変えてみるとまったく違う意味を持つ絵のようです。 下に書いておきますので、ちょっと考えてみてください。
<何が正しいのか?誰が正しいのか? 何か正しいのか?誰か正しいのか?> キノの旅�兇茲�
<知っているのか知らないのか知っているのか> キノの旅�靴茲�
<“この場所を知らず 夢の地を目指し 夢の地に着いて この場所を知らず“> キノの旅�犬茲�
<美しいと思うから 美しいと思う> キノの旅�垢茲�
<さあ、何処へ行こうか? でも、ここは何処なのさ? さあ?何処へ行こうか?> CDキノの旅より
こんばんは、あまつばめです。 2月22日、ネコの日です。 だからといってネコを可愛がったわけではありません。寂しいかぎりです。
久しぶりに料理を作りました。 鳥の団子を平たく伸ばし、ネギと一緒に焼く。 つくねのネギマといったところでしょうか。 完全に趣味の料理だったので採算など関係ありませんでした。 地鶏のひき肉や国産の太ネギ。 他も買ったとはいえ、千円近くかかっていつも食べている料理よりはるかにいい素材でしょう。 でも、料理人の腕がヘボヘボではどうしようもないです。
安いものをそれなりにする方法は知っていても、素材の味を生かして高級感あふれる味というのは理解できません。 味噌たっぷり、醤油たっぷり、砂糖たっぷりのごはんのおかずなら、濃い味にいくらでもごまかしが効きます。素材の滋味を塩のみで引き出した料理というのは、ごまかしが効かない分ひどいものになります。なんか、引き出してはいけないものを引き出した黒魔術のような料理に、です。
今回も岩のように硬いつくね、外が炭・中が生焼けのネギを作り出してしまいました。 悔しいので小芋と煮込んで濃い味にしたら、そっちのほうが美味しい。 やっぱり、悔しいです。
いいです。いつか塩と素材だけを使って雅な味をつくってみせますから。
趣味なほど変に燃えるものです。難しかったり手間かけたりが楽しいのです。日常の料理だと簡単さを求めるのに・・・・・・。矛盾した楽しさです。
こんばんは、あまつばめです。 今日1日、どうもボーっとしていました。 しっかり寝てはずなのに眠い。全身に倦怠感がつきまといます。風邪でしょうか? 父が今週頭からダウンしているのでうつったのかも知れません。 そうだとしたら、今月は風邪をひいてばかりと言うことです。 カンベンしてください。
予告どおり、昨日のことを書きました。なんか、問答無用に長くなってしまったのはご愛嬌ということで。長話をどうぞ。
20日、本店から荷物がとどきました。 普段なら段ボール1〜2箱、多くても3箱が送られるぐらいです。それなのに今回は6箱と大盤振る舞いでした。 箱の内訳はいつものA4用紙の箱が3つ。平たい箱が2つ。B4用紙の箱が1つ。
それぞれを持ってみます。 A4箱の2つは重さや音からして書類、もしくは書籍です。 残りのA4箱と平箱の片方はやたらとがちゃがちゃ音がします。文具やバインダーと推測。 もう片方の平箱は妙に軽い。空き缶が当たるような音がしました。予測は不能。 最後のB4箱は書類にしては軽いけどソコソコの重さ。10キロは超えています。感じとして・・・液体が入っているようです。
本店から送られてくる荷物は箱と中身が一致しません。というのも、箱自体使い回しだからです。 カップラーメンの箱からタワシとぞうきんが出てきたこともありました。1.5リットルのスポーツドリンクの箱にタオルが入っていたのは気のきいた冗談でした。関係ないものが入っていることも多い。だから、中身を見るまで、外から想像するのはやめているます。 期待と違うものは面白かったり悔しかったり、それはそれで楽しいのですが、よけいな憶測で失敗する原因にもなっています。カップラーメンと思ってとっておいて、いざ食べようとしたらタワシだったのではシャレにならないでしょう。 憶測は憶測。決め付けないようにしています。
調べてみると、書類、文具は想像どおりでした。別に突飛なものでもないので簡単にわかりました。 しかし、軽い缶のようなものとしっかりと重さを感じる液体。ちょっと、予想がつかない。 とりあえず、缶の方を開けてみることにします。
段ボール箱がしっかりと接着しているせいか、キレイに開けられません。無理にこじ開けると箱が壊れてしまうので、中のものを取り出せる最小限だけ開けてみました。 中に入っていたのは、カンパンでした。
カンパン。 あの、非常時の食糧。 ということは液体の方は・・・・・・水。ペットボトルの水。 どうやら非常時の食糧です。 数を数えるために全部箱から出してみました。
数えているとM本さんとS山さんが聞いてきました。
「なあなあ。それ、残業の時の食糧?」
違いますって。非常時の食糧です。
「でも、残業って通常の仕事じゃないぜ。非常食なら食べても良いよね」
あの、ここの職場は毎日が非常事態なのですか? そうだとしたらこの量では3日ももちません。 本当に非常時までとっておいてください。
「大丈夫だって。用意しておいたって使うこたぁないって」
賞味期限切れるまで待ってください
「ああ、ガムテープで封をするんじゃない。味見させてくれ」
ダメです。
同じことを別の人、ペットボトルの水でもやりました。この職場って、みんな意地汚い。 毎日が非常時なら、それもまた常(つね)ですよ。きっと。 ガマンしてくださいね。 そこまで飢えているなら、もっとちゃんとしたものを食べてください。
数を数えると、カンパン・水両方とも23個ありました。 職員の数は20人。
・・・・・・・・・3個余るのですが? どうするのでしょうか? いざというとき、3個をかけて争えというのでしょうか? それとも、3人は1日でも余分に生き残れというメッセージでしょうか? 22個や24個なら分けられる気もしますが、23個では素数です。割り切れないのです。非常時の争いの火種になること間違いなし。 こうやって互いの不信感を煽る作戦なのでしょうか?
本店のリストラ計画だったりして。(笑)
とりあえず、職場としてひとまとめに置いておく必要があったので水とカンパンを非常具の所に運びました。 これを非常時に持っていくのですか・・・・・・ 何気なしに水の重さを量ってみました。
13.4��
これを持って地震で崩れかかった建物とか、水のあふれた道路とかを逃げろというのでしょうか? 間違いなく、逃げ遅れる原因になるでしょう。重すぎです。せめて13�劼砲靴堂爾気ぁ�(意味不明) まあ、20人用の避難用品ですからリュックを2つ3つに分けて運ぶことでしょうが・・・・・・リュックがないのですよ。もしかして、逃げおくれることを期待していませんか?リストラ計画パート�兇任后�
様々ないらんことを考えていると、ある職員が言いました。
「あれ?ここって非常食もなかったの?」
考えてみれば、それが一番ひどい仕打ちだったのかも知れません。 ねぇ、本店の方。
仕事のことを書いているときは、独特の言葉をそのまま書くとわからないような気がします。 本店なんて言葉、まず使わないでしょう。たいていは『上』ですましてしまいますから。
| 2002年02月20日(水) |
タイトルは含まれません。 |
こんばんは、あまつばめです。 昨日の雑記で「17日分〜」と言う文章、完全にまちがえていました。
あう〜 言い訳ですが、本当は下のようなものを書く予定でした。前の日から下書きをしておいたので17日の雑記に書いたと思い込んでいたのでしょう。
<17日に書く予定だったもの>
さて、問題です。 下の中で私が本当にやったのはどれでしょう。
1 同僚「S藤さんってすぐいなくなっちゃって仕事していないのにほんと、口うるさいよね」
私「うん、同感」
Tululululululu Tululululululu
私「あっ、電話だ。 はい、○○事務所ですが」
上司「あ〜、私だけどS藤さんいる?」
私「いりません」
上司「え?」
私「S藤さんなら・・・あっ(気がついた) ええっと、いません」
2 Tululululululu Tululululululu
私「はい、○○事・・・・・・」
M永「俺だけど課長いる?」
私「(むか)失礼ですけど、どちら様でしょうか?」
M永「あぁん?俺だって、俺。わからないの?」
私「はい。本当に失礼ですけど、どちらの『俺』様でしょうか?」
M永「ふざけてるのか?」
私「は、『ふざけているのか』の『俺』様ですね。少々お待ち下さい」
保留
私「課長。『ふざけているのか』『俺』様のM永さんからお電話です」
3 Tululululululu Tululululululu 私「はい、○○事務所ですが」
同僚T中「T橋さんいらっしゃいますか?」
私「はい、ええっと、1.5人ほどいますが」
T中「いっ、いってんご?」
私「はい。あぁ!!」
T中「えっ?どうしたの?」
私「2人に増えました」
T中「そんなバカな」
私「増えたのは冗談ですが、T橋さんというお客も来ています。どっちですか?」
T中「・・・・・・いつもいるT橋さんお願いします」
さっそく、昨日の分を修正しておきました。 でも、気がついた人はへんだとおもったのだろうなぁ〜。 はずかしいです。 穴があったら入りたいくらいです。 これも、穴を開けたタバコが悪かったということにしてください。
さて、今日書く雑記のネタはどうしましょうか・・・ これ全部で764文字なので、これ以上書いても読み疲れるので明日に回しましょう。
明日のキーワード 『非常食』『13キロオーバー』『3人の生き残り』
こんばんは、あまつばめです。 この雑記を書き始めたのが11月15日。もう、3ヶ月の月日がたちました。
案外、真面目に書いているものです。 普通の日記だと1月も書きつづけたことはありませんでした。 10日も書いたら
『今日は何もなかった』 『今日も何もない』 『やっぱり何もない』 『もう、書かない』
こんな風になって、後は白いページが連なる。それが今までの日記でした。
変なものですね。 やめていく人も多いのでしょう。それでも、どんどん書き手が増えています。 日記は、知っている人に見られるのは恥ずかしいのに、知らない人に見てもらうことで書くことの励みにしてしまいます。 カウンターや投票ボタンを置いているので、気にすると見られていることがしっかりとわかる。それが変に嬉しくて、張り切ってたくさん書いたり、読みよい文章に書き直したりします。 仕事や勉強の義務的な文章でなく、書きたいように書いている。だからこそ、他人に見てもらいたいのかもしれません。
行動を習慣の一部とするのには100回ほど繰り返す必要があるそうです。 日常に溶け込む、その目安が100回。だいたい3ヶ月強の繰り返しです。
もう、生活の一部になっています。日記を書くことが。
そういえば、どのくらいの量を書いていたのでしょう? 平均すると原稿用紙2枚分(改行込)書いているようですので、180枚くらい? 書けといわれても、意識して書ける量ではないです。 継続は力、日々の積み重ねということですか。
最後に、日記の初心者っていつまででしょうか? やはり、1ヶ月まででしょうか? まあ、日記に初心者・熟練者は関係ないですがね。
もし、背が伸びるとしたら、あと何cm欲しいですか? 5cm? 10cm?
こんばんは、あまつばめです。 新聞(夕刊)を読んでいて気になった記事がありました。
<骨は無限に伸びる>そうです。
『イリザロフ法』というロシア人の名前みたいな方法ですが、人工的に骨折をさせ、治りかけの骨を少しずつ引き伸ばします。 1日に0.5ミリを2回、もしくは0.25ミリを4回行い1ミリです。 すると不思議にも骨そのものが長くなっていくのです。 筋肉などは伸びるのに限界があり、『身長2メートル』というようなムチャはできないかもしれませんが、5cmは簡単に伸ばせるそうです。最長で33センチも伸ばしたことがあるそうです。
すごいことに治療期間中は、寝たきりなどではなく歩いて運動するというすさまじい治療法です。骨折させて歩かせる治療。なんか、ものすごく痛そうです。
長期の治療期間や感染予防の確立がネックでしょうが、近い将来自由に身長を伸ばせるのかもしれません。 2ヶ月入院して身長を5cm伸ばす。 金銭面は別として、就職が内定した学生にとってはギリギリ可能な期間でしょう。 「すらりとした長い足を卒業の記念に」なんて流行するかもしれません。
私はあと何cm身長が欲しいのでしょうか? 興味としては185cmの見下ろす目線が面白いでしょう。周りのつむじが見える高さ。ちょっとした優越感でしょう。 でも、何cmあっても、膝をついて子どもの視点で何かを探したり、寝転がってネコの視線で土手に咲くタンポポを見たりするでしょう。
高くなっても、多くのものが見えるのでなく、多くのものを見ようとしなければ意味がないことで、低いなりの視線を楽しんでいきたい。 えらそうに思ってみたりしました。
読み返してみたら、やっぱりロシア(旧ソ連)のイリザロフ医師が開発したそうです。 けど、開発の引き金がネジを締めるのを逆に回したって・・・・・・医療ミスじゃないですか。 これぞ本当の『怪我の功名』でしょう。
『タバコ』 世間一般様からこうも叩かれて、それでも吸う人はある種の頑固者でしょうね?
こんにちは。 フトンの誘惑に連戦連敗のあまつばめです。
私は今まで、2回しかたばこを吸ったことがありません。
1回目は幼稚園の頃。 父の車で1人になったとき、灰皿にあるタバコ(峰)を興味本位で吸いました。 シガーレットライターの『カチッ』という音と、毎日2箱美味しそうに吸っている父の姿が、タバコというものに不思議な好奇心をもたらしていたのです。
ナイショで吸ったその味は、
「なに、これ〜」
でした。 ただ、ただ、気持ち悪いだけ。 苦いというか、舌にからみつくというか、当時は何物にもたとえがたい不快感でした。 あんな味を美味しいと感じるなら、大人というのは不憫なものだとマセタ考えをしたものです。
2回目は、それから20年に少し足りないくらい時間が流れた頃です。 雨の日の仕事中。 変わった仕事とは自覚しているのですが、木に登ってミカンを数えるという仕事をしていたときです。
片手にカウンター、片手に気を握って登ったり降りたりしていました。 傘はさせません。かっぱを着て蒸し暑く肌寒い不思議な感覚になっていたときでした。
とある場所。 ミカン畑というよりも、ヤブといった方が良いでしょう。もう少ししたらミカンの木が生える原生林といったところです。 なぜかため池は緑色がかかった茶色でした。 その池から黒い柱が立っています。 はじめてみました。
蚊柱。
あれ全部にさされたら『お岩さん』に勝てるでしょう。 勝ちたくありません。 手元には虫さされの薬があるばかり。虫除けスプレーはありません。 刺されろというのですか。
「ちくしょー、やってやらー」
と勇んだ3分後。
「ごめんなさい。(数なんて)数えている余裕ないです」 かゆみ止めを塗っている私がいました。
この仕事、3〜4人で組んでやっております。 その中のヘビースモーカーのSさんが
「盛大に煙だしていれば少しはマシだぞ」 というので1本いただきました。 蚊はよってきませんでした。 助かりました。 味は・・・・・・・・・よくわかりませんでした。というか、味わう余裕がなかったです。
私は他人がタバコを吸っていることに対して、特別な嫌悪はありません。 それが駅のホームであろうと喫茶店であろうと。 ただ、吸ってはいけないといったところや明らかに迷惑がかかるようなことは大嫌いです。そんな人には吸ってほしくありません。
タバコを投げ捨てている人は、お酒を飲んだらビンを放り投げるのですか?新聞や雑誌を読み終えたら道ばたに落としていくのですか?
火のついたままで人混みを歩かないでください。 火のついた部分は立派な凶器です。 街中でナイフの刃を出して歩いていたら捕まります。たとえ「傷つける気がなかった」といっても通用などしません。
20歳以上の大人が最低限のマナーも守れずに吸うのは恥ずかしくないのですか? こうしましょう。
『タバコを投げ捨てた人、大人としての権利剥奪』 私的に決めました。 身体のでっかい子供と見ます。
「ぼく〜。タバコを灰皿に捨てるってこと知らないの〜」
実をいうと、出かけようとして手に取った上着に穴が開いていました。 焼けた丸い穴が。 私はタバコを吸わない、ついでにこれを着て火に近づいた記憶もない。 雑踏の中でできたタバコの穴だと思います。
買って間もないのに、 お気に入りなのに、 他に着るもの少ないのに。(笑)
歩きタバコをしている人をにらんでいます。 完全に八つ当たりですけど・・・
ことわざや格言で好きな言葉はありますか。
こんばんは、あまつばめです。 何となく使っていた言葉の中であらためて意味を考えたとき、けっこうすごいことだと感じたものがあります。 私が結構好きな言葉では『自業自得』と『七転び八起き』があります。 理由はというと、
『自業自得』 この言葉の意味を聞くとたいていの人は「悪いことをするやつは悪い目に遭う」といった説明をするでしょう。その答えでは50点です。 近所の和尚さんから聞いたのですが、この言葉は仏教の言葉だそうです。 読み方もそのままの『自らの業は自らで得る』という意味です。 このままだと『業』ってなに?と質問が来るので簡単に説明します。 『業』とはカルマともいい、人生での行いで、大きなことは他人を助けしたり傷つけたりしたこと。小さなことは毎日の挨拶や言動の端々です。 見ている人は必ずいます。第3者の目もそうですが、自分自身が見ています。 善悪すべての行動が必ず自分に戻ってくる。だから他人から親切にしてもらいたければ自分から親切にしてやりなさい。 誰のためでもなく自分自身のために。
小学校のころ、近所の和尚さんがそんな風に説法をしてくれました。 「イイコトってのは自分のためなんだ」 子供心に深くしみた言葉でした。
『七転び八起き』 「失敗しても何度でも挑戦しろ」といった言葉です。 でも、ちょっと考えてみてください。
1回転ぶのが『1転び』です。 1回起きあがるのが『1起き』です。 『転び』の後は『起き』、『起き』の後に『転び』ます。 『七転び八起き』は最初どんな姿勢だったのでしょうか?
最初から立っていた場合、 『1転び』『1起き』『2転び』『2起き』『3転び』・・・・・・『7転び』『7起き』です。
最初から伏していた場合、 『1起き』『1転び』『2起き』『2転び』『3転び』・・・・・・・・・『7転び』『8起き』にです。
人間なんて最初から転んでいる状態なんです。 伏した状態の方が楽なのに起きあがるのは自分の意志で、起きあがりたいから起きあがる。 転んだところで最初に戻るだけ。失敗は失ったのでなく、スタートラインに戻っただけなんだ。 そんな前向きなところが好きです。
もっとも、これは『躁』のときの考え方です。 『鬱』のときは、
「じゃあ、なんで<業=人生の行い>なら『自業自得』は悪いことが返ってくるように思うの?人間なんてしょせんは『悪』の塊なの?」
とか
「起きた後転ぶことが決まっているなら寝て他方が良いじゃん」
ナドナド・・・・・・ 躁鬱で好き嫌いが逆転するのが難点なのです。
好きな言葉って、結構飾り気がないですよ。たぶん。
| 2002年02月15日(金) |
100%を超えてみないかい? |
100%果汁飲料を超えた、 本物以上の果汁感!
こんばんは、あまつばめです。 今夜は、ちょっと見つけた飲み物の話です。
コンビニで「なにか美味しそうな飲み物はないかな〜」とウロウロしていた時です。 100円くらいの紙パックで野菜ジュースとか飲むヨーグルトとかを売っているコーナーがありますよね。そこは私にとってはあまり関係の無いコーナーでした。 250ml〜300mlの飲み物は、1つではもの足らず、2つなら500mlペットボトルを買う方が割安。なので、あまり気にしていない、いわゆる死角です。 そこの置いてあった中に『超果汁』(オレンジ味)という飲み物がありました。 何が『超』なのかと手にとって見ると、
『果汁140%』
・・・え? 140%ですか? いくらなんでも100%超えとは・・・・・・ 確かに『超』です。 興味をそそられて2本買いました。
とりあえず、1本目を開けて1口飲んでみます。
ゴクッ ん〜〜〜〜〜〜〜
甘い!
そして
苦い!!
果物は甘味・酸味・渋みのバランスがとれてはじめて美味しいのでしょうが、問答無用に甘すぎて果実の苦味が目立つのです。 これはあまりにひどすぎです。
加えて、飲む前より飲んだ後のほうがのどが渇きます。 「海で遭難して、のどが渇いても海水を飲んではいけない。飲めばよけいに渇き、最後は脱水症状で死ぬ」 そんな言葉の意味がわかるくらい濃いのです。
とんでもないものを買ってしまいました。 どうしましょう。
とりあえず考えたのは、「同量の水でうすめれば70%ジュースになるかな?」という考えでした。 でも、「果汁10%のジュースと100%のジュースでは10倍の濃さを感じるか?」と聞かれたらNOでしょう。両方とも美味しいジュースですし、10%のジュースでは砂糖やいろいろなものを添加しているはずです。 うすめたところで「水っぽいだけの別物」ができあがることを想像してしまいます。
考えたのですが、どうもうすめるという発想しか出てきません。 こうなったら思い切ったことをしてみることにしました。
温めてみました。
ホットオレンジという飲み物です。 冬になると、週1回くらいのペースで飲んでいるものです。 当初、この目的で買ったのですが、濃厚に感じさせるホットオレンジではさらにひどいことになるでしょう。 でも、まあ、ここまで甘苦なら怖いもの見たさで飲んでみたくなるものです。 好奇心優先ということで、カップに注いでレンジにかけました。
温まった140%は強いカンキツ臭を発していました。 気のせいか、見た目がドロっとしたようです。 もしかして、水分が飛んで150%くらいになっていませんか?
それでも、まだ『飲み物』です。 勇気というか、自暴自棄になったというか、それは判断できませんが、とにかく1口飲むことにしました。 恐る恐る飲む1口は知らずに飲んだ時に比べて半分以下です。
・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・・あれ? 美味しい?
冷えていたときはとっても甘苦でした。 温めたときはすごく甘いのですが苦くありません。 酸味が引き出されてバランスが良くなって、とても飲みいいのです。 『オレンジ』という感じが濃厚なのに嫌味がないのです。 むしろ100%未満のホットオレンジのときに感じる『人工的なニオイ』がなく、飲み口がすっきりしているのです。
おどろきと得した気分でいっぱいでした。
1本飲み終え、じっくり読んでみることにしました。 製作元はロッテです。 賞味期限は7ヶ月先です。 常温保存が可能です。 カロリーは60kcal(100ml当り)です。 ほとんど糖分です。
・・・・・・・・・え? 60kcal? すごく高くありませんか? 1本(280ml)で168kcalですか?おにぎり1個分弱です。 さすがに濃いだけはありますよ。ははははは・・・・・・
付記1 オレンジのほかにグレープ味がありました。こっちは120%です。
付記2 最初の2行は書いてあったキャッチコピーです。正確には下の2行が加わります。
<140%のおいしさを お楽しみください。>
和菓子が食べたい。
そんな願望の下、仕事をしていました。 今日ははやく帰られるようなので和菓子を買っていけます。
こんばんは、あまつばめです。 すみません。昨日(13日)の日記を書くことができませんでした。 帰宅をした後、ぐっすりと寝てしまったのです。 やっぱり体力が落ちているのと実感をしました。 ↑ まあ、言い訳なんぞ流してください。
寝ている間も和菓子の夢を見ました。 団子に轢かれて柏餅で病院に運ばれる夢です。 我ながらわけのわからない夢でした。
昨日今日と仕事で行った先が �� 桜葉の産地 �� 桜祭りをやっていた ので桜餅を買うことにしていました。 まだ早いかな?と思ったのですが、売っていました、桜餅。 数は無かったので桜餅2個と草もち2個を買うことにしました。 もちろん、家族へのおみやげです。4つも食べませんって。
そして家に帰り台所のテーブルを見たとき、危うく包みを落とすところでした。 テーブルの上には
シュークリーム10個 プリン3個 チョコレート2人分
チョコレートはわかります。 妹が今日のために買っていたのを知っていましたから。 でも、シュークリームやプリンは想像外です。 さらに、冷蔵庫を開けるともっとたくさんのチョコとゼリーが出てきました。 聞いてみるとシュークリームは母が、プリンは父が買ってきたそうです。
別に買ってくるなとは言いません。 でも、まあ、なんでこんなところばかり気が合うのでしょうか。 両親とも「何となく甘いものが食べたかった」そうです。
和菓子とシュークリームはアシがはやそうなので今日明日に食べることになりました。プリンは休日中です。 今週の残り、甘々の日々になりそうです。というか、週明けには体重が戻ってしまいそうです。
今日知ったことなのですが、父も母も『桜葉』は嫌いだそうです。 私はアンコの甘さを引き立てるのに最適だと思っています。 ふつう、両親が嫌いなものは子どもも嫌いな場合が多いのですが、両親が嫌いなもほど不思議と好きなものが多いのです。 実は思い当たることが一つ。
私は3人兄弟で上に兄、下に妹がいます。 それぞれ味の好みが大きく違います。
兄はスイカとアイスが嫌いでした。冷たいものを食べなかったのです。 妹はアンコが嫌いでした。和菓子類はほとんど食べなかったのです。 私はというと、特に嫌いなものはありませんでした。かわりに好きなものもなかった気がします。あえて言うなら、ごはんが好きでそれをたくさん食べられなくする間食が嫌いでした。
兄弟の中でお菓子を食べていなかった私を、両親がどう思ったのか知りません。ただ、余ったお菓子は優先的にもらっていたような気がします。 みんなが好きなものを選んだ後の残ったお菓子。それは必然的に好きな人がいなかったお菓子。つまり嫌いなお菓子だったのです。 おかげでというわけではありませんが、スイカとアイスと和菓子は大好きです。
私は家族の嫌いなものを食べて育ったのですか・・・・・・ もしかしてアレも嫌いなのか聞いてみましょう。
ナイモノねだりというものは、無いから余計に欲しいもの。 けど、あっても満足はしないでしょうけど。
こんばんは、あまつばめです。 職場の体重計に乗ったら2キロ落ちていました。 苦労しても落ちない体重ですが、病気だと短期間で落ちるなんて・・・ まあ、筋力が落ちているだけなのですぐに戻ると思います。4日も寝込めば当然ですよね。
家には体重計がありません。 5年程前に壊れたとき、「使う人もいない」という暗黙の結論が出て、買いなおしていないのです。
よくよく考えてみると、それからでしょうか。母はどんどん丸くなり、父はどんどん細くなっています。 体重計がないと本人の気のすむように変化していくのでしょう。 目安になる確かな目盛りがないと人間は自分を維持できないのでしょうか。
数字というのは無感情な分、残酷なのです。
話は変わって、今日の帰宅途中のことです。 不意に和菓子が食べたくなりました。 といっても、9時過ぎに和菓子の店はやっていないでしょう。都会ならまだしも、田舎ならなおさらです。 駅先のコンビニによることにしました。
その道すがら、どんな『和菓子』が欲しいのか考えてみました。
まず、春らしい雰囲気のものです。梅や桃の花を模した薄紅色や、一面の菜の花畑のような淡い黄色だったら最高です。 つぎに味ですが、あっさりした口中で溶けるような甘さ。雪のように確かな感触はあるけど重さを感じず消えていく後味の軽さです。 最後に小さいこと。お腹いっぱい食べる楽しさもあるのですが、ほんの少ししか食べない物足りない楽しさ。まだまだ食べたい気分を押さえるもどかしさが欲しかったのです。
まあ、ここまで考えると専門店にでも行かなければ売っていないでしょう。 昼休みに買いに行かないかぎり、勤め人には縁遠い代物なのです。 しかたなく饅頭を1つ買っていきました。 でも、余計に食べたい気持ちになりました。
みなさんの好きな和菓子ってなんですか? 私の一番は『黄身しぐれ』です。
休みの間、ただ寝ているだけの生活でした。 本格的なダメ人間になっていくようです。
こんばんは、あまつばめです。 たぶん連休が終わりのみなさん、明日から仕事もしくは学校です。 金曜日が休みだと1週間は短いのに、月曜が休みだとちょっと長く感じるのは私だけでしょうか。
軽い鬱状態なのか、気だるい1日でした。 テレビやラジオはつけっぱなしなのですが、言葉が音としてしか捕らえられず、その意味を見出せません。 トドのようにうつ伏せになっていろいろ考えるのですが、やっぱりまとまりません。 体の中のエネルギーがどっちに向かって進みたいのかわからないようです。
口から漏れるのはため息ばかり。無駄に呼吸しているのが自覚できます。 幸せがそこらへんに転がっていても、きっとため息で吹き飛ばしてしまっているでしょう。 セキか止まったと思ったらため息が止まらないとは、つくづく不便な身体です。
仕事が休みの月曜というのは、変に憂鬱です。 普段はいるべき場所でなく、どこに行ってもぴったりとはまる場所がないからでしょうか?
体の中には時間を刻んでいるものがあって、長年の生活で『1行動』『1日』『1週間』という区切りをつくっているのでしょう。 だから、いつもと違うと、こんなに脱力感がするのでしょうか?
憂鬱です。 蜂のような幸せが欲しい。
というわけで、後半です。 どういうわけかわからない人は昨日へ戻ってください。 ちなみに私も何が『どう』いうわけなのかわからないのですが・・・
10日 AM11:00 また12時間以上寝てしまいました。たしか眠ったのは9時になっていなかったはずです。 養分満ちたようでほとんど大丈夫になったようです。 でも、念を入れて今日もゆっくり休むことにしました。 それにしても、今日が何日なのか、そして何曜日なのかすらわからない状態です。時間間隔がなくなるくらい寝ていましたので・・・・・・ とにもかくにも、起きて食事をすることに。 考えてみると、寝ているか食べているかです。他に何をしていたのか記憶がないです。本も読まなければテレビも音楽も聴いていませんでした。立派に健全な病人だったようです。微妙に意味不明です。 10日 PM2:00 暇です。 妙に暇です。 休む間なく暇です。
本を読むとか、テレビ見るとか、何もしないなら眠るとかすればいいのでしょうが、体直回復に努めるために横になっているだけなのは暇すぎてたまりません。 今日1日は体を休めるために本もネットも禁止しておきました。だから、やることなんてなくなってしまったのです。
ああ、暇だ。 はやく時間が過ぎないかな。(以降『笑点』がはじまるまで暇でした)
10日 PM6:00 『笑点』も終わり、また暇なのかと思いました。 実を言うと、去年の暮れからラジオのタイマーとビデオが故障しています。 そうでもなければ休みの日など、1日は録音録画モノでつぶれてしまうのに・・・・・・。まあ、無いものねだりをしてもしょうがないでしょう。 そこまで考えた後、新聞を読んでいないことに気がつきました。 本がダメで新聞がOKの理由など見当たらないのですが、3日も情報が無いのは気持ち悪いです。 というわけで、新聞を探しに行きました。 納戸の古新聞は古いほど下にあるので、上の3日分ほどを適当に取りました。 小一時間ほどかけてゆっくりと読みましたが、オリンピックの記事ばかりでつまらなかったです。それもテロがどうのこうのという話題で変に盛り上がっている様子。他にあっても殺人事件のことばかり。世の中は平和に満ち溢れていない現実をぶつけられました。
10日 PM7:00 夕食。 本日は母親の好物ばかりが並んでいます。 母の誕生日なのです。 だからといって特別に祝うことなどはしていません。ただ、ちょっと贅沢をするだけ。好物のゆでつぶ貝、マグロの山かけ、食後のデザート(シュークリーム)。手間がかからないものが並んでいるのは気のせいではないでしょう。母もまあ、こんな日くらいは楽をしたいのでしょう。 すみません。自分のことで手いっぱいだったので何もしませんでした。 ちなみに兄の誕生日が5日後です。何かするってわけではないですけど・・・・・・
10日 PM10:30 良い子は9時に寝るものです。 私は変な子なので9時には寝ないでしょう。って昨日寝てましたね(笑) お風呂入って日記をまとめていたらこの時間になりました。思ったより時間を食ってしまいました。どのくらい書いたのでしょう。やはり2日分は1つにすると長かったです。2つにすること決定です。とりあえず、目が覚めたら2つに分けて日記を載せましょう。
では、おやすみなさいませ。
5時間足らずで目覚めてしまいました。 やはり寝すぎていたのでしょう。 朝はまだ先ですがどうしましょうか。
こんばんは、あまつばめです。 9日と10日の『病記』です。 まあ、どのくらい私がヘタレなのか如実に記しているものです。
9日 AM5:00 とりあえず、寝ることにする。3時ころ起きたばかりだが、身体を拭いてネットをふらふらしただけだ。 体調は、そこそこ良くなった。起き上がれないほどでもない。 昨日一日、フトンの中と病院でしか呼吸していなかったことを考えると悲しくなってくる。入院中というわけじゃないのに、フトンに食べられている私。モグモグと咀嚼して、ガムみたいに原形とどめないくらいグチャグチャになっていそうだ。きっとそうだ。 人食いフトンは立派なものだ。テラテラ光った薄汚い人間を毎日咥えている。きっと、美味しくないのだろうな。他に食べるものはないのだろうか。 ちなみにフトン、木曜の夜からしきっぱなし。1日以上余分に敷いてあるフトンは母親に言わせると「病人のニオイがする」そうだ。染み付いてしまった私には感じられない。 「カン」と言う意味での鼻はきく。鋭い危険は必要以上に感じる。他人から身を守るために発達した嫌な一部だ。その私が理解できない「病人のニオイ」とやらは、どんなニオイだろう。 太陽の下で伸びをする人間が毛嫌うらしい。なるほど。雨好きの人間には心地よいニオイなのかもしれない。
話がそれた。早く寝ることにしよう。身体が軋んでいるように痛い。
9日 PM5:00 目が覚めて時計を見ると、寝る前と同じ時間だった。 いや、記憶が確かなら10分ほど巻き戻っている。 「よし、やったぞ。やったぞマーティー。過去に戻ったんだ」 そんなわけない。 眠っただけで過去に戻れるのなら、人類は進化することなく消えていっただろう。
それにしても、12時間近く寝てしまったということか。身体の軋みは消えていて、変わりにノドが張り付いたように渇いていた。またノドを痛めてしまったのだろうか。少し不安になる。 病院でもらったうがい薬を使うと、気にならない程度にすっきりなった。さすがは医薬品。ダテや酔狂で税金が使われてはいないようだ。医療費3割負担に何となく賛成。 食欲はほとんどありませんでしたが、とりあえず、おかゆを口にする。 普通は温かくして胃腸に負担をかけさせないようにするのでしょう。でも、土鍋にできていたおかゆは冷め切っていました。冷えたままの口当たり良いほうが『食べる』という目的には適しています。無理に温めず、そのままいただきました。 1杯食べ終えた後、体の中でゆっくりと溶けていくのが感じられました。 考えてみれば、ほぼ、2日ぶりの食事です。 薬を飲むためにプリン(味なんてわかりませんでしたよ)を口にしましたが、それはあくまで例外です。 細胞のひとつひとつに栄養が流れていくのを感じ取れました。
そうなると元気なもので、ノドも渇きだします。 ホットミルクをつくりました。普段入れない砂糖を入れて。 なんとなく、失っていた体温を取り戻したようでした。
9日 PM7:30 すぐに夕飯です。 「ごはんだよ〜」の声で行ってみると、 鍋でした。 食べる気はなかったのですが、『鍋』です。それもアンコウ鍋です。肝もたっぷり。冬の味覚です。 肝とスープをいただきました。 ショウガやネギが多く入っていたところを見ると、身体を気づかってくれたのでしょうか。 ありがとうございます。 身体が温まりました。
それにしても、衰弱した身体には『食べる』ということ、『消化する』ということはそれだけで負担が大きいようです。起きているのがままならならず、眠ることになりました。まるで気を失うように。
明日に続く
こんばんは、あまつばめです。 風邪をぶり返してしまいました。さらにひどくなっています。
1日寝込んでいました。3連休が4連休になってしまいました。まったく嬉しくありません。
どうも最初の風邪と今の風邪はウイルスが違うようで、今度は熱がまったく出ませんでした。代わりといってはなんですが、声が出せないくらいにのどが痛いです。セキも止まりません。
なんだか、今週は床に伏している時間でいっぱいです。 軽く計算してみたところ、3週間分くらいの睡眠をとっていました。これで来週は眠れないのでしょうか。そういうオチだと考えると怖いです。
元気とき、そのありがたさはわからないです。でも、わからないことが幸せでしょう。 健康が最高の財産だというなら、風邪は小悪の負債でしょうか。 不幸せな中、考えています。
何となく、『大丈夫?』って聞かれた時のことを思い出しました。
こう聞かれるとYESかNOでしか答えられません。 緊急の場面なら返事が返ってくるかどうかを判断の基準にするのでしょうが、取り留めない日常の使われると困る言葉です。
NOと答えるとき。それは圧倒的な弱さを見せてしまいます。否定すれば戦場から逃げ出し、誰かの庇護される。とても楽な世界。 そして、YESの言葉を忘れてしまう。 気抜けた泥沼から逃げられなくなっている。
YESと答えるとき。それは根競べのはじまりです。肯定する綻びを探す問いかけ人と飽きるまでの問答。鬱陶しい世界。 そして、NOの言葉が漏れてしまう。 高い空から落ちていく。
第3者から聞かれるほどひどい状態。 やっぱりそれは大丈夫ではないでしょう。
否定を求める問いかけはいりません。 それだったら、『大丈夫だよ』って言って欲しいです。 根拠はない言葉でも元気になれる気がします。
天邪鬼な私は、ぎりぎりまで風邪ということを認めていませんでした。 ただちょっと、『熱があって』、『関節が痛くて』、『ふらふらして』、『食欲がなくて』、『ちょっとお腹を下し気味』なだけで風邪ではないと言い聞かせていました。 今となっては必要以上に病人らしくしています。マスクして、変に厚着をして、自室でエホエホ咳きこんで・・・・・・型にはまった病人をやっています。
そうしていなくても風邪は治るでしょう。 でも、『病人』をやっていれば、時期に疲れて『健康』になろうとするかもしれません。 ひねくれものなりの治し方なのです。はい。
お風呂に行って身体を拭いてきました。これほどさっぱりしたということは寝汗をよほどかいていたということです。
本人の意思とは無関係に身体は生きるために戦っています。 もう寝たくはないのですが、寝ることにします。心が身体の邪魔をするのもなんですから。
こんばんは、あまつばめです。 「熱、引いたかな?」と思って体温を測りましたら35度1部でした。 38度超えた時もありましたので、1日足らずで3度近く下がったのですか。 何となく、無茶苦茶しているようです。
職場で「牛(廃牛)はいくらで取引されるか?」と聞かれました。 ピンからキリでしょうが、一番安いのだと千円ほどにしかならなかったそうです。 まあ、例のBSE(狂牛病)がらみでここまで下がっていること、農家から直接聞いた話なので多少誇張が入っているかもしれないこと、まったく裏づけとっていないことなので「普通はもっと高いのでは?」くらいしか言えませんでした。 農家もあまりの安さに牛を哀れに思い、赤字覚悟で家に持ち帰り育てるそうです。 お金ウンヌンの問題ではない。そういうものもあるということですか。
と、まあ、ここまでだったら真面目で暗い話でした。 私が不意にこんな質問さえしなければ。
「食用ではダメなら他に売れないのですかね? たとえば乗用とか」
調べてみました。 牛や馬で道路を走ることは違法なのかどうかを。 その結果、
牛=軽車両
自転車と同じ扱いだったのです。 左側通行をしていれば大丈夫そうです。
そこのおじいちゃん、どうですか?お孫さんのプレゼントに乗用牛でも。 完全自走式。心の教育にもいいです。通学用のアシとしても話題を呼びます。 さあ、一家に一牛。いかがですか?今なら夜間用ライトとして伝統の『チョーチン』をお付けいたします。お値段は税込みで・・・
まとまらなくなりそうなので、今日はこれまで。
一人でいるのは楽しい。 でも、独りでいるのは大嫌い。
こんばんは、あまつばめです。 良くも悪くもならないまま、仕事に出かけました。 押してまでやらなければいけない仕事は午前中に終わりました。 午後から帰宅。 ゆっくり休むことにしました。
念のためによったCDショップで探していたCDを見つけました。 これを聞きながら横になっていました。
6時くらいでした。 ウトウトとしていたのですが、急に涙が出てきました。 アクビではなくて、自分では止められない『さみしい』って感情の渦です。 5分ほど泣いてすっきりしました。
小さなころの涙は、誰かに見せる涙だった。 私はここにいる。もっと見て欲しい。気づかって欲しい。 弱い自分が助けを求める声。人前で泣いた。できるだけ、大きな声で。
少し大きくなった涙は、誰にも見せたくなかった。 泣き声では誰かに気づかってもらえても、対等の目線になってくれない。 優しい大人が手を差し伸べすように、常に上から。 同情なんか欲しくない。同じ人だと見て欲しい。泣き声をひそめた。
もう少し大きくなって、人前で泣きたくなった。 涙もろいことヒタ隠し。目に力込め、大人だからと誤魔化しをする。 感情をムキ出しにする?ヒタ隠す?どちらが正しいかわからない。
生まれてきた時、みんな泣いていた。 最初の行為。誰に教わることなく。 大きくなって泣かなくなった。 泣いてばかりじゃ、何も始まらないから。
でも、 忘れたわけじゃないよね。 泣けないはずはないよね。 ガマンしているだけだよね。
1年後、泣いているはずです。 10年後も泣いているはずです。 生き続けるかぎり泣いているはずです。 涙の意味が変わろうとも。
情緒が不安定になってきています。 音楽に乗せて吹き飛ばしてしまいたいです。
ヒトリゴト 「最近、『1度寝てから書』いています。だから、本当は『こんばんは』ではなく『おはようございます』です。時間を置いて落ち着かないと最後まで言葉にできません。すぐ体験したことを言葉に置き換えせないノウミソです。もしかして、この熱は知恵熱でしょうか?ノウミソのデフラグしたいです」
3日分の日記を2つ載せてしまいました。 なんでこんなミスをしたのだろう。 ともかく、修正しました。
こんばんは、あまつばめです。 今日はやたらと暑いなぁそう思いつつ、体温を測りました。 37度ありました。 納得するかたわら、熱の原因を考えてみました。 やっぱり、昨日のことがきっかけなのでしょうか。
ショックにはショックです。 罰金としては安いかもしれませんが、7千円というのは私にとって結構な額です。具体的にいうと、1週間分の小遣いです。金銭的な自由を奪われたのです。例えいくらでも嫌なものです。 でも、納得はしているのです。 後から2つの眼で右折禁止を確認しに行きました。 違反は違反。悪いことしたら罰がくる。当然です。
あれは単なるきっかけだと思っています。 何が原因でおかしくなったのか。いくら考えても『これ』というのはないです。
私は『嫌』とか『つらい』とかは限りなく鈍いです。 あっけらかんと流してしまいます。 『嫌』を気づく暇なく時間が流れていきます。
でも、気づかないだけで傷ついています。
痛みを知らないだけで血は流れている。 どんどん流れ、立っていられなくなった時、はじめて気がつく鈍感です。
限界まできていたのでしょうかねぇ。 なんだって良かったのかもしれません。
現在、37度2分。 膝痛い。腰痛い。首痛い。 頭が熱い。 さっさと寝ます。それでは皆様も風邪に気をつけて、おやすみなさいませ。
| 2002年02月03日(日) |
ゆうりょうどらいばー |
朝、目が覚めると雨が降っていました。 雨。 なぜかわからないのですが、妙にわくわくします。 ニオイ・・・・・・が好きなのですね、きっと。
こんばんは、あまつばめです。 今日は、どうしても出かけなければならず、加えて電車などでは行きづらいところに用事がありました。 晴れていたら原付で行く予定でした。 しかたなく、親に車を借りて出かけたのですが、やってしまいました。
帰り道、TUTAYAによろうとして右折した時、後から白黒のクルマが派手な赤い光を出して「前の車、左に寄りなさい」と呼び止められました。
警察です。 パトカーです。 おまわりさんです。 何かあったのかな?と思いつつ、クルマと停めてみました。 この道、
進入(右折)禁止だったのです。(自爆)
TUTAYAは、自力で来るとしても原付で来るくらい。車でこの道を通ることがなかったので気づかなかったのですが、渡ってはいけなかったのですね。他の分離帯は特に禁止してなかったので行って良いものだと思い込んでいました。 久しぶりに乗って罰金7千円ですか。ちょっと、情けないです。
実を言うと、自動車事故を3回起こしていますが、免許自体はキレイなものでゴールドでした。 優良ドライバーだったのです。 ここで罰金を払うことにより、『有料ドライバー』に変身してしまいました。 おまわりさんに説明を受けている時、こんなことを思っていた私は何ら反省をしていなかったのでしょうか。それとも、混乱していただけでしょうか。
7千円あったら、文庫本十冊は買えたのに・・・・・・・・・ 完全な不注意。 次からはなくそうと、雨に誓いました。
| 2002年02月02日(土) |
冷凍ブルーベリーはなかなか良い。 |
昨日買ってきたブルーベリーは、結構使い道がありそうです。
最初使った時はゆっくりと解凍して砂糖を加えたヨーグルトで食べました。 ふんだんに使った紫の玉。ヨーグルトの白。 スプーンでクルクルってかき混ぜます。 キレイなマーブル模様を見せてくれます。 甘い香りと一緒に美味しくいただきました。
次は冷凍庫から出してすぐ使いました。 残ったヨーグルトと牛乳を使ってシェイク(みたいなもの)を作ろうと思案していました。。 コップいっぱいにブルーベリーを入れ、牛乳をそそぐ。 牛乳で解凍をしてしまおうとかき混ぜた時です。 ブルーベリーの周りで牛乳が凍っていました。 紫の玉が白の氷に覆われて見えませんでした。
ふと、昔、両親が買ってくれたアイスクリーマーを思い出しました。
�(殞篋泙鯑睚颪靴織椒Ε襪鯲笋后� �⇒顱∈重�、牛乳、生クリームを混ぜて冷えたボウルにそそぐ。 ��ゆっくりとかき混ぜているとアイスクリームの出来上がり。 注:お好みのジュースだとシャーベットになります。
固まりきっていない薄氷をゆっくり剥いで小さな塊にしていく。 ただそれだけのこと。 その保冷ボウルのかわりに凍ったブルーベリーの玉が牛乳を凍らしていたのです。 「もしかして」としばらくかき混ぜました。
牛乳の量が少なかったのが幸いし、見事なシャーベットが出来上がりました。 淡い紫色のシャーベット。 今回は砂糖無添加。 抜けるような甘味はありませんが、果実の酸味かかった甘さは後口がさわやかでした。
最後は解かして砕いてジュースにしました。 これぞ、100%ジュース。濃縮還元はいたしておりません。 皮があってノドごしすっきりとはいきませんが、手作りらしいジュースは売っているものと違った味わいがあるものです。
他に思案していたのは、 �.曠奪肇院璽�ミックスにいれてカップケーキ。 �▲璽薀船鵑埜任瓩謄侫襦璽張璽蝓次� ��生地に混ぜたクッキー
あと、本の知識で実践はしたことありませんが、簡易ワインでしょう。 酵母を入れ密封。暖かい場所で発酵させる。1日かからず低アルコールのスパークリングワインができるそうです。 ワインは好きではないですが、こんな自作はやってみたいものです。
120グラムで100円。 安くて使い道がありそうです。 今度は何をつくろうかな。
追記:目が痛かったのでパソコンを1日使用禁止。 だいぶ楽になりました。
何がそんなにおかしいか。 何かそんなにおかしいか。
こんばんは、あまつばめです。 今日は2回日記を書いているようですが、気のせいです。 ええ、そりゃ、たぶん、もう。HAHAHAHA! ・・・・・・・・・妙にテンションばかりが高いです。
妄想暴走中です。 ちびまるこちゃんに「くっくっくっく」って笑う女の子いましたが、そんな感じで思い出し笑いが止まりませんでした。 今考えて何が面白いのかわかりませんが、あの時は思い出すこと全部が面白かったのでしょう。 笑っているのが幸せなら、間違いなく幸せなはずです。だいぶマガマガシイ笑顔でしたが。
午後の仕事、結局、暇でした。 午前よりやることがあったのですが、暇なことは代わりありません。 暇ついでに周りを観察してみます。
今いる人16名。 咳き込んでいる人3名。 男性13名、女性3名。 真面目に仕事している人、とりあえず5名。 暇そうにしている人7名。 別室にこもって見えない人3名。 見知らぬ人2名。
なかなか面白いことは出てくるものじゃないですね。 職場のパソコンで100人村を見てみましたが、そんなに上手くいかないものです。 まあ、笑いながら楽しんでいました。 ・・・知らない人は今日来たパートさんでした。
鏡を見ると疲れきった顔です。
瞳はウサギさん。 周りはクマさん。
こう書くとメルヘンです。 充血した瞳と周りのクマでは程遠い姿ですけど。
クマさん、クマさん、ガオーガオー。 ウサギさん、ウサギさん・・・・・・・・・どう鳴くの?
ピョンピョンでは蛙です。 ウサウサ〜だと怖いです。
注:こういう発想自体疲れています。 なんか、話がまとまりませんね。やっぱり。
帰宅時に気がついたのですが、目が完全におかしいです。 止まっているものを見る分にはそれほど気にならないのですが、動いているものを見ているとコマ送りのように見えます。焦点が合わなかったりちらついていたり。 ここ数日酷使していたこと、コンタクトレンズをつけっぱなしで寝てしまったこと、使用期限の切れた目薬を使ってしまったこと。 どれが原因なのでしょうか? 考えたところで治るわけではないのですが、考えるほど心当たりがあるのは痛いです。
とりあえず、ドラックストアによって目薬を買うことにしました。 当然使用期限前のものを。 目薬って期限中に使い切ることは皆無でしょうが。
大型店舗のドラックストアは薬以外にも色々なものが置いてあります。 でも、冷凍食品はここで売っているものとは思いませんでした。 『はんばあぐ』や『ぴらふ』が置いてあるのは予想外でしたよ。
その中で、ブルーベリーが目につきました。 目に良いのでついでに買うことに。
食べた瞬間、きゅぴーんって治ったら嬉しいのですが、それはないでしょう。気休めです。
さあ、はやく帰って休むことにしましょう。 ゆっくりお風呂入って、よく冷した目薬さして、暖かい濡れタオルをアイマスクにして、ブルーベリーいっぱいのヨーグルトを食べて休みましょう。 ウサギもクマもさよならをして。
追記:しまった、CD買い忘れていました。 目が痛いのに本買って、耳の栄養忘れるなんて。 バカさかげんに磨きがかかっています。
|