いつもなら、家に帰って来ると何らかの主食がある。 パンだったりご飯だったり朝の残りのそうめんだったり・・・ しかし、今日に限って何も用意してなかった。
仕方なしにうどんを茹で、釜揚げにして食べることに。 その最中、一昨日に妹が作ったスープが残っていることに気がついた。 ジャガイモ(自家製)をクリームや牛乳で滑らかにした冷たいスープだったものだ。 うどんを茹でるのにかかる時間は15分。 待っているのも暇だからと、お玉をすくってみると
ブリブリブリブリ〜
と泥から空気が漏れるような音。 ・・・・・・発酵?
恐ろしさもあり、吐き出すつもりで洗面台の前で一口口に入れてみると、なんとまぁ、みごとにヨーグルト風味 なぜか口に後まで残り、うどんがすっぱく感じてしまいました。
これから食中毒が多くなる季節。 火を通さないものはすぐに冷蔵庫に。 火を通すものは少なくとも朝晩2回の加熱。 そして、腐ったものはすぐに捨てることを心がけましょう。
それにしても良かった。音が鳴ってよかった。もしならずに、一口目を飲み込んでいたら、土日は小さな個室で苦しんでいたでしょう。
こんなことを言うと不謹慎なのだが、台風が近づいてきて、わくわくしている。 まぁ、31日には温帯低気圧に変わってしまうので、存分に味わうことないのだが、それでも荒れた天気というのは心弾むものがある。
荒れた天気というのは、個人個人を閉じ込める小さな空間を作ってくれる。
傘にしかり 合羽にしかり 屋根の下にしかり
雨風などで強制的な隔離を作る。 その中で、ゆっくりと考えることが好きであり、 また、いつもの風景が風や雨によって変えられようとしつつ、必死で抵抗する姿がうれしいのであり、 ぬれねずみになるのがちょっと悪いようでどきどきするものであり、 まぁ、とにかく色々と楽しんでしまうのだ。
不意に思うことなのだが、
晴れの日は集団をはぐくみ、雨の日は個人を伸ばす時間
ではないのか?
視界が良い日は遠くを見て、悪い日には近くを見る。 そうしないと、一つばかり見ていると、大事なものがかけていくのでは?
それにしても、降水確率80%か・・・・・・ いや、雨の強さはわからないが、それでも期待をしてしまう。
近頃、やりたいことが多すぎて、結局何もできないことが続いている。 私自身のことをやりたいのだが、誰かのために動いている私がいる。
誰かのために行動すること。 それは今の私にとって、逃げでしかない。 より、弱い人を見て、心の安定を求めているのだ。
助けたいのではない。 弱い私に気がついて欲しいのだ。 行き場のない私を救って欲しいのだ。
本当にやりたいことがなんなのか。 それを問いかける時間が欲しい。 大事なものを飛ばしていて、いつか足元が崩れる予感がする。 だから不安でしょうがなく。また要らぬ世話をする。 足が動かなくなって転ぶ日まで、この行為は続くのだ。
今日は―――今日『も』か―――曇天で、ちみっと蒸し暑い。 このくらいの日が、のへのへと過ごすにはちょうどいいです。
とはいえ、のへのへと過ごすわけにも行かないのが悲しいところ。 外に出れない分、文字と数字をにらめっこする仕事をしていました。
そんなときは関係ないことが頭に浮かんできます。
「五月雨とか五月晴れとか五月蝿いの『五月』は 今月の5月ではなく、旧暦の五月(今の6月)だっけ?」 そして、外を見るとしとしとと雨が降り出す様子。
・・・・・・もしかして、もう梅雨に入ってしまっているのかな? 沖縄は梅雨に入ったって言うし・・・・・・
最近は季節が妙にずれているとこがあり、知らないうちに半月くらい時間がずれているのかもしれない。 1年が365日きっかりではないので、2000年以上暦を重ねるうちに、少しずれているとしたら・・・・・・
そんなことないと思いつつ、しとしと降る雨が強くなって欲しいと眺めていました。
2003年05月06日(火) |
手をとめると考えること |
『生きる』ことに価値はない ゆえに『生きている』ことに価値を付加する ただ、間違うは、過剰に付加する『生きかた』なり
純粋な塩(塩化ナトリウム)は、舌に辛く味はない 雑味のミネラルを含んだ塩は、丸みをもつ 砂糖やこしょう、醤油を混ぜたものは、すでに塩と呼べない
物足りなさに惑いながら 今を失うのを恐れながら ゆっくりと問いかけてみる
何になりたかったのだろう 何になれるのだろう 何になるのだろう
歩きながら考える 残された時間は長くて短い 残された時間は長いようで短い
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