| 2004年05月30日(日) |
��158…眠い午後 |
最近、なんだかんだと忙しくて時間が足らず、睡眠時間を削っていたので、ちょっと疲労を感じていた。昨日の朝、人と会う約束があって、その場所に車を走らせているとき、異常な眠気に襲われた。こらイカンと思い、途中でコンビニに寄って、ブラックコーヒーを買って飲んだ。冷たいコーヒーでも効果があるのか、なんとなくすっきり。
用事が終ると、スーパーで食料品の買い物をして帰宅。買ってきたものを冷蔵庫に入れていると、いつものようにリブが、袋の中を点検しに来たが、あまり熱心ではない。いつもは、空になった袋の中に入って遊ぶのに……。気のないそぶりで、買い物袋をクンクンしただけ。 まだ気分が悪いのかなと思い、どれどれと、リブを引っくり返してお尻を見る。傷跡も治ってきて、だいぶきれいになってきた。舐めることもほとんどないから、痛くはないはずである。
昼寝ならいくらでも付き合ってあげる。by リブ 時計を見ると2時半。小雨模様の昼下がり。30分くらい休もうと思って横になったのだが、よほど疲れていたらしく、途端に眠ってしまったようである。リブが、顔に鼻を近づけてきたのを感じたが、そのまま睡魔に引きずり込まれてしまった。 目が覚めると、何と5時半だった。30分のつもりが3時間も眠ってしまった。すぐ横に、リブが一緒になって寝ていたりする。付き合いのいいやつだ(^_^メ)
猫とまったりと過ごす昼下がり。昼寝なんて、ずいぶん久しぶりであった。時にはこんな午後があってもいいかな……などと自分に言い訳をしつつ。
傷口もだいぶきれいになってきた。 先日、リブのオデキのことを書いたが、少しずつよくなっている。薬を5日間飲ませ終わったら、また先生に診てもらう予定。きょうで、投薬2日目。
リブのホームドクターは、来夢のときからお世話になっている獣医師で、長いといえば、けっこう長い付き合いである。来夢が亡くなって、動物病院に行くことも当然なくなっていたのだが、半年間の空白期間を経て、ある日突然また行く羽目になった。 リブを拾ったとき、体調が悪いのは見てとれたので、私はその足であの先生のところに向ったものである。鼻気管支炎と結膜炎が完治するのに1ヶ月以上かかった。去年は避妊手術もしてもらった。毎年のワクチン接種もあるし、今後も何かと、あの獣医にはお世話になることだろう。
かつて、来夢が具合が悪くなったとき、初めて行った動物病院では、その獣医師に不信感をもった。治療の仕方が納得できなかった。何しろその先生は、触診するどころか、猫に一切触らないのである。注射をうつときも、猫には触らず、いきなり、首の後ろに針をグサッと刺した。あれにはびっくり。
そこには二度と行く気がしなかったので、今の動物病院に連れていって、治療の仕方、動物への接し方を見て、これなら納得と安心した次第。どんなに汚い傷でも、この先生はためらわずに猫に触り、ちゃんとした治療をしてくれる。腕がいいとか悪いとかは、最初はなかなかわからないものだが、少なくとも、動物に対する態度、接し方を見れば、その獣医師の人間性の判断基準になるだろう。獣医師の選び方、重要である。
来夢が腎不全で闘病したときも、ずっとお世話になった。亡くなってしばらくしてから、お礼に行ったとき、「来夢は幸せだったのでしょうか?」と聞いた私に、「泣いてもらえる猫は、幸せだったに決まっています」と言ったのは、あのM獣医師。 私の本の『メビウスの猫』に獣医師が登場するのだが、それは、あの獣医がモデル。この本を、私は日頃の感謝をこめて、先生に献上した。モデル料かい?^^; 後日、先生が言った。「かっこよく描いてもらってありがとうございます」 。。。。。わははっ(^o^)♪
先週の土曜日、リブがすわるとき、妙なしぐさをするのに気がついた。すわろうとしてお尻を浮かし、またすわろうとしてまた浮かし……。トイレを出た後、お尻を拭くとき、異常に嫌がった。いつもはそんなことないのに……。お尻のあたりをよ〜く調べてみたが、異変は見当たらない。食事はいつも通り食べる。
でも変だ。微妙に元気がない。いつもよりよく寝ている。1日に1回くらいは、食事の後、家中を走り回って遊ぶのに、それもない。猫じゃらしで誘っても、反応なし。ただ寝ている。それでも、日曜日の夜の時点までは、どんなに調べても、見た目の異常は見つからなかった。
そして月曜の朝、その異変が発覚した。リブがお尻をしきりに舐めているので、そこを見ると、肛門のすぐ横に、オデキのようなものができていて、しかも膿んでいる。 あらら〜。これが腫れて痛かったのね(ーー;) 膿んで膨らんできたので、やっとわかった。猫は毛に覆われているので、傷が発覚しにくいのだ。
大急ぎで、キャリーバッグにリブを押し込んで動物病院にとんで行った。 何でも、肛門線(肛門嚢だったかな?)が炎症を起こしているということだ。下痢Pが続いたとき、また逆に、硬いウンPが続いたようなとき、炎症あるいは破裂が起こることがあるらしい。リブは仔猫の頃から、下痢というものをしたことがない。どちらかというと“硬め”なのである。そのせいだろうか。。。。。。。
先生に、思い切り膿みを出してもらって、傷内の洗浄(傷口から器具を入れて、内部を洗浄する)、痛み止めと化膿止めの注射を2本。。。可愛そうにリブは、あられもない格好をさせられて、先生におまたを思いっきり覗かれて、あちこち触られて、大いに憤慨したようだ。ごめんよ〜(ーー;) この洗浄は、3日間続けないとイカンというので、月曜日に続いて昨日ときょうもまた、傷の洗浄と注射2本をうってもらいに行って来た。明日から薬を飲ませないと。
治療のかいあって、思ったより早く回復しているということである。おかげで、傷(ぱっくりと穴があいている)は少しずつきれいになってきている。膿んでくるときは、痛かったんだろうな〜。それであんなに元気がなかったんだ。かわいそうに……。早く治りますように。。。。。
| 2004年05月23日(日) |
��155…ボケボケだけど |
庭の写真を撮っていると、リブが窓から一生懸命私を見ている。私が移動するところへ、猫の視線がついてくるのがわかる。これは、庭から網戸越しに撮った写真。ボケボケだけど、それなりにいいと思った(^_^メ) どこへ行くにも家中ついてくるリブだが、私が出かけるとき、どうってことないという顔だし、私がいないからといって寂しいなどとは感じてないんだろうな〜、猫だもんな〜と思っているが、こんなときは、けっこうちゃんと見ている。というか、何してるんだろ〜という興味で見るだけかもしれないが……。近付いてデジカメを向けたら、やっぱりふいっと視線を避けた。
しばらくそうやって、窓際から私を見ていたリブだが、唐突に興味が他に移ったらしい。部屋の中の別なところを無心に見ているのに気がついた。部屋に入ってみると、リブが見つけたのは蜘蛛だった。 蜘蛛は、チョイチョイと出される猫の手を逃れて、壁を登った。リブは後ろ足で立ち上がって、前足を思い切り伸ばすのだが、蜘蛛は、猫の手が届きそうで届かない高さで止まっている。ニャニャニャ……と文句を言いながら、リブはその壁をいつまでも見つめている。
時には刺激になっていいかなと思い、そのままにしていた。しばらくして見ると、リブは蜘蛛を見失ったらしく、不満かつ不審そうな顔をしながら部屋中をウロウロしていたが、そのうち、「アタシってば何してたんだっけ?」てな顔付きになった。それは蜘蛛を諦めたというより、自分が何をしていたかわからなくなった、という感じだった。蜘蛛さんにとっても幸いだった。驚かせてごめんよ。 う〜ん、猫ってやっぱりボケボケかもしれない。でも、猫のやることがきっちり理屈に合っていて、人のすることよりも完璧だったら、そっちの方がおかしい。このボケボケ加減がいいんだな〜(^^ゞ
| 2004年05月21日(金) |
��154…ゆめ猫通りの猫たち |
猫の体の線は美しい。しなやかで優雅で、どんなポーズをとってもサマになると思う。猫のポーズ、見ていて飽きない。猫は毛色も多種多様だし、同じポーズにしても個性がある。例えば「寝姿」というポーズひとつ取っても猫それぞれ。眠り猫の画像がずら〜っと並んだ写真集って壮観だろうな〜。 ずっとそう思っていたが、そもそも猫の数が足りない。うちには1匹しかいないし、身近かに、猫を飼っている人がたくさんいるわけでもなし。。。だけど、ネッ友猫(ん?)が増えた今、すっかりお馴染みの猫たちも多い。これならやれるかもしれない――。ただし、皆さんのご協力が必要だが(^_^メ)
てなわけで、今後、テーマを決めて、皆さんのところに画像をお借りしたい旨、お願いに上がるかもしれませんが、そんときゃ〜よろしくなのです。最初のテーマは「寝姿」です。自発的参加も大歓迎♪
本日、愛すべき猫たちの写真集【Cats Club】を作りました。サブタイトル [ゆめ猫通りの猫たち]――これ、自分ではすっかり気に入ってしまった(^^v 「ゆめ猫通り」とは、いわば、私のサイトのこと。この広いインターネット上で、思いがけないご縁で出会ったよそサマの猫たちだが、今ではすっかりお馴染みになってしまった。みんな同じように可愛いものである。[ゆめ猫通り]に集う仲間として、猫たちをさまざまな形でご紹介したいと思う。
まず最初はうちの猫から。これまで【Memo】などでご紹介した画像の中から、お気に入りを選んだアルバム[My Liv]です。 この[ゆめ猫通りの猫たち]に、出会った野良にゃんこや近所の猫、友達にゃんこを含む猫写真集を、これから少しずつ増やしていく予定。
『ゆめ猫』は、私のお気に入りの言葉。エッセイのタイトルにもしている。『ゆめ猫』とは、特に深い意味はない。「夢みる猫」あるいは「夢の中の猫」あるいは、「夢より来たりし猫」――そんな、ほわ〜んとしたファジィなイメージを、この言葉の中にこめているつもりであります(^^ゞ
| 2004年05月19日(水) |
��153…捨てられて |
猫友達が子猫を拾った。先日の日曜日、嵐の夜、その仔猫はゴミ箱に捨てられていたそうだ。生後推定1〜2週間。白いふわふわの仔猫。(画像は、その友達から借りたもの) なんてこったい。こんな儚い命をゴミ箱に捨てるなんて。。。信じられない。
そういう状況になった猫たちは、見つけられて保護されればラッキーだが、救いがないままに死んでいくコたちも多いのだろう。考えると切ない。人の身勝手で、捨てられたり殺されたりする動物たち。。。。。。
以前、動物病院で会ったある女性から、生きたまま、土の中に埋められていた仔猫3匹を保護した話を聞いたことがある。仔猫たちは、袋に入れられて土の中に埋められていたそうだ。その人は、たまたまそこを通りかかった。たった今掘リ返したばかりのように、不自然に土が盛られていたので不審に思い、土をどけてみると、虫の息の仔猫たちを発見して戦慄したそうだ。その仔猫たちは、その人のところで、今は元気に暮らしていると聞いたのがせめてもの救いだった。 なぜそんな残酷なことができるのか、信じられない。。。。。
リブを拾ったときのことを思い出す。夜の路上にポツンとすわっていたあの儚い姿を思い出す。「仔猫だ」と思った瞬間、胸がキュンとした。あんなところにいたらあぶない……。そう思い、車を降りて拾い上げた。生後推定1ヶ月、手の平サイズのちびねこだった。なぜ道路の真ん中にポツンと独りでいたのか、今となっては永遠の謎だが、わりと人馴れしていたことから、おそらく、捨てられて途方に暮れていたのではないかと思っている。 拾い上げたそのとき、小さな温もりが手に伝わってきた。温もりは生きている証。こんなに小さくても生きてるんだ。命なんだ。そう思うと妙に感動したあの時のことが今も忘れられない。
| 2004年05月17日(月) |
��152…癒しの君 |
ペットは偉大なるセラピストであるという。猫や犬を飼うことによって、どれほど人の心が癒されるか、彼らと共存することがどれほど大切なことか――これは実感である。猫や犬の体に触れたり撫でたりするだけで、血圧が安定し心身の疲労が回復するということは、すでに科学的に実証済みである。
最近は、アニマルセラピーも注目され、老人ホームで孤独に過ごすお年寄りや、心の病に苦しむ人たちに猫や犬と触れ合う場をつくり、なかなかの効果をあげているそうである。 痴呆の老人に猫の世話をさせたところ、目覚しく回復に向ったという報告もあるし、心の傷のために歩くことができなくなっていた少年が、猫を抱くようになってしばらくしてから歩けるようになったという話もある。
動物は人間に貢献しているのである。両極端の習性をもちながら、人の側で暮らすことを運命づけられたような猫と犬には、特に存在の意味を感じる。人に何かを学ばせる為に遣わされた使者かもしれないと思ったりする。もしも、この世に人間しか存在せず、他の動物が一切いないとしたら……。そんな世界はあまりにも味気なく、また恐ろしくもある(^_^メ) 猫のやわらかい体を撫でる、抱きしめる。きれいな目を見つめる。忠実な犬のひたむきな気持ちを、真摯に受け止める。そうすればいつもやさしい気持ちになる。信頼関係は、人がその気になれば、本気で愛してその動物と付き合えば、必ず築かれて行く。裏切るのはいつも人間の方だ。
動物はきれいな目をしているといつも思う。純粋でけがれのない眼差しをしている。トシとともにくたびれて、人間関係やストレスで曇り濁っていく人間とは違う。いつも本音で生きている彼らは、そういう意味では、いくらトシをとっても純粋だ。人間ももっと単純に、もっとシンプルに生きていければいいのだけど……。きょうも疲れを癒してくれるのは、愛しの我が君である。
| 2004年05月15日(土) |
��151…マタタビに酔う |
猫にマタタビ」ということわざを知らない人はいないと思う。これは、効果があることのたとえに使われる。猫がマタタビの匂いを嗅ぐとメロメロになってしまうことからきている。マタタビと同じ効果をもつものにキャットニップがある。
でもマタタビやキャットニップは、全ての猫に効果があるわけではない。仔猫はまず反応しないし、雌猫もあまり興味をもたないと言われている。大人の雄猫にもっとも効果的ということだが、うちのリブには効果てきめんなのである。お嬢なのに(^_^メ) 以前、友人からキャットニップマットを貰ったが、これを出すと、狂喜してクネクネする。けっこう色っぽいし。。。 上の画像はマタタビの枝にじゃれるリブ。小枝にスリ〜スリ〜と顔をすりつけ、前足で抱え込んで、クネクネと体をくねらせたりする。下の画像はキャットニップマットで興奮しているリブ。気持ちよさそう。目がイッチャッテル?(笑)
そもそも“マタタビ”(「木天蓼」 ←難しい漢字だ)とは、マタタビ科のつる性落葉低木で、果実、若葉は食用にもなるそうだ。 まだ自動車も鉄道もなかった大昔、人々は、どんな距離もテクテク歩いて旅をしたわけである。そんなとき、疲れた旅人が、マタタビの葉っぱを口に含むと元気が出て、「また旅を続けることができる」――だからマタタビというようになった、と聞いたことがあるが、真偽の程は定かではない。
マタタビは、ほとんどのネコ科の動物に効果があるようだ。TV番組で、ライオンがマタタビに酔ってクネクネするところを見たことがある。なぜネコ科の動物だけに効果があるのかはわかっていないらしい。これは麻薬のようなものかもしれないが、人が濫用する麻薬と違って副作用もなく、習慣性になることもなく、適度に与えるのはストレス解消になっていいらしい。
ところで、猫のつくことわざ、けっこう多い。現代ではほとんど使われなくなったことわざや古い言い回しもある。猫関係のことわざを調べてみた。エッセイ【ゆめ猫】��30…[猫ことわざ]をUPしたのでよろしければご覧下さいまし(^.^) あなたはいくつ知っているかにゃ?
| 2004年05月12日(水) |
��150…だって猫だもん |
先日、うちの猫はあまり鳴かないと書いたけれど、呼べば返事はするのである、声を出さずに(笑) 名前を呼ぶと、一応呼ばれていることがわかるらしく、ちゃんと私の顔を見る。後ろから声をかけると振り返る。近くにいなくても、呼ぶと、「な〜に?」てな感じで私のところへやってくる。これは立派な返事でしょ(笑) ただしこれは、気が向いたときの話。呼んでも一切知らん振りすることもある。まー、半々くらいの割合かな。これぞまさに猫!
前の来夢は、呼べば、ほとんど必ず「にゃ〜ん」と応える猫だった。庭に出ていても、ここにおいでと手を出すと、すぐに走ってくるような素直さがあり、抱っこも、本当は嫌なんだけど、私が降ろすまでじっと我慢しているようなところがあった。いつも少し遠慮がちで、いじらしいほどに気を遣っていた。(マジで、猫も気を遣うのだ) まったく実に、不思議なほど性格のいい猫だった。
リブは、来夢ほど素直ではないが、決して我がままではない。天邪鬼だが、気位の高いお姫様タイプでもない。気まぐれではあるけれど、手のかからないおとなしい猫である。まさに猫らしい猫? 時々、キッチンでゴソゴソやって、テーブルから何かを落としたり、カツオパックの小袋をくわえて逃げていくこともあるけれど、いたずらと言えばその程度であり、そんなことは大したことではない。
人のいいなりにはならないのが猫。ご主人様を見て、ちぎれるほどに尻尾を振って愛想を振りまく犬とは違うのである。猫も猫なりに嬉しさを表現するが、猫をあまり知らない人にはわかりにくいかもしれない。猫の表情は確かに読み取りにくい。いつもそっけない表情のように見えるが、長く付き合うとだんだんわかってくる。耳や尻尾の動きで感情を表すし、顔の表情も、微妙に変化するのである。顔をしかめることだってあるのだ。マジよ。
時々、「アンタ、素直じゃないわね〜」と言ってみる。そんなときリブは、「だって猫だもん」と答える(ような気がする)(^_^メ)
| 2004年05月10日(月) |
��149…寡黙な彼女 |
リブが、無心に庭を見つめているようなとき、ふと思う。いったい何を考えているのだろう。そもそも猫には、人間のような思考回路があるのか? あまり鳴かない彼女は、いつもとにかく静かである。前にいた来夢もそれほどおしゃべりではなかったが、リブよりは鳴くことが多かった。私の顔を見ればまず、ニャ〜ンと話しかけてくる猫だった。
そもそも野生の動物というものは、無駄なおしゃべりはしないものである。無意味にしゃべるのは人間だけだろう。猫は、仔猫の頃はミーミーとよく鳴くものだが、これは母親に依存している証。親に頼るしかない仔猫は、「アタシはここにいるよ。ちゃんと面倒をみてちょうだいね」と、自分の存在を母猫に訴え、母猫もまた、それを頼りに子育てをするわけである。 仔猫時代を過ぎて独り立ちすると、普段は声を発しない無口な大人になる。これが猫本来の姿。声を出すのは、喧嘩のときと発情のときくらいで、人間のように無駄な声を発することはない。
飼い猫となって人に馴れてしまった猫は、野良や野生の猫とは当然違ってくるだろう。体は大人になっても、いつまでも面倒を見てくれる母親(飼い主)がいる。だから彼らは、人に対して鳴いて(つまり、話し掛けて)くる。それは、人に対する依存の証でもある。
でも、猫もそれぞれ。人の顔さえ見ればミャーミャー鳴くおしゃべりな猫もいるし、滅多に鳴かない無口な猫もいる。無口な猫ほど、猫本来の性質を多く残しているのかもしれない。よく鳴く猫は、それだけ人懐こくて甘え上手とも言える。
リブは、生後1ヶ月の頃、道の真ん中にすわっているところを私に拾われた。拾い上げたそのときでさえ、ひと言も発しなかった。普通、仔猫ってミーミーとよく鳴くものだが……。うちに連れて来ても、彼女は、最初の2日間全く鳴かなかった。3日目に初めて声を聞いた次第。。。仔猫の頃からすでに自己を確立しているようなところがあり、猫の孤高性を感じさせた。
以前、猫を飼っている友人が、「うちのコは甘えん坊で、四六時中人の膝に乗ってきて、抱っこ〜、抱っこ〜とうるさい。猫を抱いていると何もできないのよ〜」と言っていたことがある。それは、ある意味羨ましい(^_^メ) リブは、一度としてそんなことはない。もう少し甘えてくれたら嬉しいかも〜。
| 2004年05月08日(土) |
��148…扉の陰には |
私がお風呂に入っていると、脱衣所のすりガラスにリブがうずくまる影が見える。私が入浴を終るまで、いつもそこで待っているのだ。寒い時期は、中途半端に濡れて風邪をひかせてはいけないと思い、浴室には入れないようにしている。
ガラス戸を開けると、待ってましたとばかりに飛び込んで来る。風呂場の中をウロウロして、湯船に前足をチョイチョイと入れてみたり。窓に飛び乗ってみたり。足が濡れても、毛に水がかかってもわりと平気。おかげで入浴させるのは楽だ。
ネコ科の動物は濡れるのを嫌うものだが、トラは水浴びをする。猫も水に濡れるのを嫌がるものだが、ターキッシュバンという猫種だけは水遊びが大好きだ。以前、この猫を紹介する番組を見たことがある。トルコのバン湖という湖の近くで発生した猫種で、水に入れると喜んで泳ぎ回るのだ。普通の猫なら、水がかかっただけでまず嫌がって逃げるものだが……。
リブがうちに来た当時、シンクや風呂場の中にばかり入って遊んでいた。水が垂れる水道の下に行って顔を濡らして喜んでいたので、「アンタ、ターキッシュバンの血が入ってるんじゃないの〜?」とよく冷やかしたものだ。 夏場、シャワーを浴びていると、いつの間に入り込んだのか、シャワーの水しぶきを浴びながら、浴室の隅っこにリブがちょこんとすわっていたこともある。今は、仔猫の頃ほど水に関心をもたなくなったが、濡れるのは今でもわりと平気である。
脱衣所のこんなところで暇つぶしをしてみたり お風呂を終ってガラス戸を開けると同時に、脱衣所で待機(?)していたリブが飛び込んでくる。気をつけないと、足元に絡んで危うく転びそうになる。毎度毎度、同じことをやってくれる(^_^メ) この調子で、私がどこにいてもいつの間にか側に来ているので、邪魔をされたくないときはドアを閉めて部屋に入れないようにする。それでも、彼女はドアの前でじっと待っている。最近は、常にそこに猫がいるという前提で、ドアを開けるのを用心するようになった。うっかり開けたらそこに猫が待っていて、ドアが猫にぶつかったり…^^;
| 2004年05月05日(水) |
��147…猫の聴力 |
ゴールデンウィークも終って、明日からまたいつもの毎日が始まる。遊び疲れで、まだ休みたい人も多いことだろう(笑) GWは、会社勤めの人にとっては毎年の貴重な連休。でも、楽しいことは計画しているときがハナ? 終わってしまうと寂しいものである(^_^メ)
リブは、ちょっとした物音にもビクッとすることがよくある。そんなに驚かなくても……というくらい派手に驚くので、かなりの恐がりだと思っていたのだが、そればかりではないかもしれないと気がついた。要するに、猫は耳がいいのである。良過ぎて、おそらく人間には小さな音でも、猫には大音響になっているのだろう。
以前、先猫来夢についても、よくそんなふうに思ったことがある。来夢と隣家の飼い猫ポンタ(彼らはとても仲がよかった)が一緒にベランダに寝そべっているときなど、2匹揃って、不意に同じ方向を見ることがあった。私には何も聞こえなかったが、彼らは確かに何かを感じていた。人間には聞き取れない音、あるいは声が、彼らにはちゃんと聞こえていたのだ。
リブが窓から見える庭の小鳥を一心不乱に見つめているとき、そーっと、音を立てないようにして近付いても、耳がピクリとこちらを向く。彼女は、ちゃんと私の気配を察しているのだとわかる瞬間である。 ドライフードの音がカラカラとしただけで、どこにいてもすっ飛んでくるのはうちの猫ばかりではないはずだ。ぐっすりと眠っているように見えても、何か音がすると耳がピクリと動いたりする。どの方向から近付いても、耳の動きは、明らかに音源を察知しているのがわかる。
耳はまた、猫の気分を表すバロメーターでもある。不機嫌かつ不満なときは耳が両側に寝ていたりするから面白い。おまけに猫は、人間の言葉を理解していると思うこともある。来夢が居た頃、私はしばしば実感していた。 猫の聴力について私が知っている限りのこと、日頃感じていることを、エッセイ 【ゆめ猫】にUPしました。([��29…猫は聴いている]) 猫の耳は、人間には聞き取れない、実にさまざまな音を聞いていることは確かである。
| 2004年05月03日(月) |
��146…猫的生活 |
毎年、ゴールデンウィークのこの時期、テレビのニュースで必ず報道される恒例の行事のようなもの? どこそこの高速道路が○○キロの渋滞だとか、飛行機や列車が超満員だとか、どこかのテーマパークに○十万人の入場があったとか、海外旅行に○○十万人が出かけたとか……エトセトラ。。。。。遊ぶにも気力・体力が要りそうだな〜(^_^メ) お疲れ様です。
アウトドアと言えば、犬は一緒に遊びに連れていけるからいいなぁ。もともと犬は、集団で暮らす動物。集団で暮らす動物は、活動的で移動型なのである。上に従う習性があるので、飼い主はボスであり、ボスが行くところなら、どこへでも喜んでついていく。 猫は違う。固定の縄張りに固執する猫は、自分の縄張りから出るのを極端に嫌うものだ。いつもの場所で、いつも通りのことをしているのが猫の猫的生活。おまけに猫は、孤高の生き物。ボスに従うとか、他に合わせるなどという習性はないのである。犬は常にご主人様の命令を待っているが、猫は自分の意志で行動する。
彼らは飼い猫であっても、飼い主を主人だと思っているわけではない。一般的に、猫は飼い主を親だと思っていると言われる。だから甘えたいときだけ甘え、お腹が空いたときだけすりよって来て、用がなければ知らん振り。これぞ猫的猫(^_^メ)
私はしばしば思う。これほど両極端な動物である猫と犬、彼らは人の側で暮らすように定められた動物ではないかと――。歴史は犬の方が古いけれど、猫と犬と人との暮らしは、もう長いこと定着しているのだ。 人が飼うのに適した動物だから自然に飼うようになった、と言えばそれまでだが、猫と犬という両極端な習性をもつ動物が、今こうして同じように人の側で暮らしているところを見ると、不思議な定めを感じてしまう。そして、極めて猫的な自分は、やっぱり猫的生活がいいんだなぁ(^_^メ)
| 2004年05月01日(土) |
��145…ウサ晴らし |
爽やかな5月の風が吹き始めて、季節はいよいよ夏へ向っている。ついこの前、新年が明けたばかりと思ったのに、あっという間にゴールデンウィーク突入。日本全国で、毎年恒例の大移動が始まることだろう。旅行やドライブに行かれる方、どうぞお気をつけて。
先月、私の小説『メビウスの猫』の出版に際して、たくさんの方々からお祝いのメッセージをいたきだき、ありがたき幸せである。 HPで『メビウスの猫』を連載中、毎回貴重なコメントを下さった方々もいて嬉しかったのだが、私が知らない方も読んで下さっていた人がいたようで、嬉しい驚きだった。それと、「読書なんて長いことしていなかったのに、メビ猫で久々に小説を読む楽しみを味わった」と言って下さった方が何人かいて、これはまた、作者冥利に尽きるありがたいお言葉(感涙)
リブに、本と一緒のポーズをぜひ決めてほしかったのだが、相変わらず非協力的で、こんな写真しか撮れなかった…(ーー;)
断っておくが、私は小説を書くのに“文学性”など目指していない(笑) 本を読むのはウサ晴らし、そして書くのもウサ晴らしである。『メビウスの猫』の連載を始めるとき、私は明言した。「これは文学作品ではありません。軽〜い読み物です」と。 何かとストレスの多い現代人は、疲れている人が多い。本物の人生は、うまく行かないことの方が多いと思う。そういう人たちが、仕事帰りの電車の中で、あるいは就寝前のベッドの中で読んで、単純にウキウキ楽しめるような物語、疲れも悩みも忘れて没頭できるような展開――そんな話を書きたいと思っている。
純文学、暗い話や小難しい話、感動もの悲話、美化された不倫話、純愛ロマン――などは、私の専門(?)ではない。現実は何かと気苦労が多いからこそ、いっときでも現実を忘れさせてくれる夢のあるファンタジックな大人の御伽話を紡いでみたいな〜と、常々思っている。現実と非現実の狭間、現実にありそうで、実はあり得ない話。絶対になさそうで、やっぱりありそうな話――そんな物語が好きなんだな〜。
=============================== トップイラスト更新。お馴染み、“Kouichi Satou シリーズ”を再開します。 今月の絵は、[Blue Fantasy − 青の部屋]です。
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