ウェブ日記
国民と国との関係を取り戻す過程は新たな段階に入ったみたい一昨日は日本が主権を回復してちょうど60年になった日であるが、 このことについて触れたブログを2つは見た。 どちらも所謂保守系の考えの人のブログであるが、 それでも今までこの日について論じられることはほとんど無かったので驚いた。 非常に残念なことに、 どう見ても国を壊すことなら何でもやろうとする政権になって3年も経ってしまったけど、 見方を変えればこの3年は、 国民が国との関係についてようやく根元から考え直し始めた時期でもあると半分喜んでいる。
ビールと第三のビール今月は悩みごとがちょっと色々あって、 ビールをよく飲んでいる。 炭酸が胃に優しいからか。 ビールは高いので新発売の第三の黒ビールを試したのだが、 材料は良いのだがどこかビールに無い物足りなさを感じる。 ビールにかかる高い税金は戦時中の名残りだから、 いい加減税率を下げてビール醸造を健全にすればいいのに。
実家に明日まで滞在。 明日何か書くかも。
続けることって一体何だろうグーグルリーダーに登録しているあるブログが、 著者の体調不良のため無期限停止を宣言した。 読んだり見たりするのを楽しみにしていたブログやウェブサイトが絶えるのを見るのはいつも辛い。 ブログや日記に限らず、物事を続けるとは一体どんなことか、 未だにはっきり分からないでいる。 ただ、それはとても大事であることは間違いないと歳を取るたびに確信を深めている。 ネットで最近よく見かける格言の1つにビスマルクの 「愚者は経験により学び、賢者は歴史により学ぶ」がある。 歴史は文字による記録が生れて初めて始まる (文字の無い時代は先史時代になる)。 なので、一個人によるブログや日記も、 それがどんなにひっそりとしてささやかなものでも立派な歴史の一部になる。 歴史の一部としてこの世に賢者をさらに1人増やせるかもしれない。 別の見方にはこんなものもある。 中谷彰宏氏がこんなことを言ったらしい。 したい人10000人。始める人100人。続ける人1人。 ということはあるものごとを続ける人は世の中の人100人または10000人に1人しかいない稀少な人ということになる。 また、何かを成し遂げるには続けねばならないが、 それは言い方を変えれば、続ける人は何かを成功させる準備ができていることにもなる。 ということで、 ものごとを続けることは改めて大事なことに思えるし、 何かを続けている方々には敬意を持たずにはいられない。
隣町でのど自慢があったフェイスブックで知ったのだが、 今日隣町でNHKのど自慢が催された。 地元の人達が素直に興奮したり喜んだり予選に落ちて残念等々のコメントを市長のページに残しているのを見て和む。 私はたまたま軽トラックを運転中ラジオで少し聞いたのだが、 長山洋子の後ささきいさおが宇宙戦艦ヤマトのテーマを熱唱するのを聞いて胸が熱くなった。 このイベントはどうも口之津港開港450年記念事業の一環として、 NHKにお願いして叶ったものらしい。
隠れたメッセージ今朝の産経新聞1面に両陛下御主催の春の園遊会の記事を見たら、 台湾の台北駐日経済文化代表処の代表(大使相当)も代表として初めて招待されたと書かれてあった。 先月11日の巨大地震の追悼式典の内容を知って憤りを覚えていたのだが、収まった。 謹んで感謝申し上げます。
支那人のものまね石原都知事が尖閣諸島を都が購入すると宣言して良い話題を振り撒いているのに便乗して、 私が海外で実際にやった支那人のものまねについてでも書くとするか。 ものまねは簡単。 台所からナイフか包丁を借りて左手に持って背中に「隠す」。 そうして誰かに笑顔を見せてニーハオ、ニーハオと言って握手するだけ。 握手した相手に分かるよう、 回れ右か左して別の人にも挨拶しているふりをするのがコツ。 豪州留学中このものまねを寄宿舎の管理人夫妻の前で演じたら爆笑された。 ちなみに奥様は福建系の華僑。 血は支那人だけどカンボジア生まれ (ポルポト政権下で8人の兄弟を失いながら豪州に亡命した悲しい過去を持つ方)。 彼らとは今でも肝胆相照らす仲です。
イギリスはヨーロッパではないよく「欧米」という表現が使われるが、 私は「欧州英米」が適切と思う。 イギリスはヨーロッパとは思えないからだ。 だって、
あと、ヨーロッパではオペラが、 英国ではミュージカルが根付いているように思える。 英国のクラシック音楽はどこかポップで大陸のそれとは異質に思えるのは何故だろう? 南アフリカでも欧州系移民と英国系移民は互いに別の社会を作っている (最近は混血も多いけど)。 ロシアもヨーロッパではない。 一番明解な理由は国旗で、 青と赤が接するような組み合わせは欧州(と英米)には無いから。 でも一方で欧州とロシアはクラシック音楽の土壌を共有していると言える。
どうして日本の学校ではアクセントの教育が無いのだろう日本語と欧州英米の言語は全く違うものと言われたらその通りなのだが、 あちらの言葉はアクセント--あちらは強弱アクセントだけど--が違ったら別の言語と見なされる。 例えば英語でナショナル(national)は最初の「ナ」にアクセントがあるのに対し、 ラテン系の言語では最後の「ナル」にアクセントがある。 イギリス英語とアメリカ英語では単語のアクセントはほとんど全て共通で、 例外はadvertisement等極少数に過ぎない。 一方日本語では京阪と東京でもアクセント--こちらは高低だが--が全く違ううえ、 これら以外のアクセントを持つ方言が多数ある。 茨城のような無アクセントまでもある。 なので私が海外から帰国したときは日本語が多言語に聞こえて何ヶ月か苦しんだ。 私は長崎で生まれたが、 母の五島アクセントの影響を受けたので、 長崎でも都内でも喋り方が変と指摘されて嫌な思いを何度もしている。 おまけに私には会社勤めの時の無期限の転勤2回が原因で、 出身地差別の被害妄想があるのだが、 その(実際にあったかは不明の)差別ではアクセントの違いが利用されたと思い込んでいる。 そんな経験があるので、 どうして日本の学校ではアクセントの教育が無いのかと腹立たしく思う。 私の母国語は日本語のはずなのだが、 (正規の)アクセントの教育を受けていないので、 日本語がネイティブと思えないままでいる。
九州も内地なんですが昨日深夜日記を書いていないことに気付いたが、 種が思いつかなかったので翌朝この日記を書くことに。 新聞を取りに行ってこの話題を思い出した。 先日産経新聞でクレジットカードで購読料引き落としのできるサービスの案内を見つけた。 早速電話したら担当の男性に、 そちらの地域は対象外ですと無愛想な回答をいきなりされた(通知されたこちらの電話番号を見たのだろう)。 抗議も兼ねて、ではこの広告は載せるべきではないですねとは言ったけど、 やはり気分が晴れず。 電話の後新聞を眺めたら、 まだ「九州山口特別版」と書かれている。 3年前に販売、購読してからまだ特別版のままか。 やはり九州は内地でも特別扱いなのかな。 ただ「九州沖縄」よりは「九州山口」の方が違和感がずっと少ないが。
莓酵母パンの焼き方/How to bake bread with strawberry yeastイースターにフェイスブックで天然酵母パンを焼くと書いたら、 アメリカ在住の友人がレシピを送ってほしいというので、 飲んでいたのに1時間ほど書いて夜更かししてしまった。 折角だからそのレシピを加筆して載せる。
How to bake bread with strawberry yeast:
How to prepare the leaven:
How to prepare the strawberry yeast: References:
ハッピーイースター今日は復活祭と花祭りの二重にめでたい日となったので、 信仰に関する話題を2つほど。 私はテレビは全く見ないし家に置いていないけれど、 ネットが無いと生活できない。 ネットの特長は色々あるのだが、 その中に不思議な点が2つある。 1つは普通に愛国な、国を大切にする人を多く見かけること、 もう1つは宗教や信仰に関して理解や親しみ(本人は気づいているとは限らないが)を持つ人を非常に多く見かけることである。 その2つがあるからか、 私はネットを利用していると落ち着くことが多い。 話が飛ぶが、 私が日本の野生葡萄でワインを作ろうと計画しているのには宗教的な理由もある。 日本の神話ではイザナギノミコトが黄泉の国で髪飾りを投げ捨てたら葡萄--エビヅルと思われる--の樹が成り、 彼を追いかけていた醜女が葡萄を食べている間逃げられた。 他に天の岩戸を開けるため催された宴会では(稲作がまだ伝来していなかったので)果実酒、 特に葡萄酒も振舞われたと思われる。 ちなみにこれは都城ワイナリーのウェブサイトで知った。 キリスト教とワインは切っても切れない関係にある。 仏教では山梨県甲州市にある大善寺の薬師如来が法薬として葡萄の枝を持っているそうだ。 なので日本の野生葡萄のワインが醸造され普及が始まれば宗教への何らかの影響があり、 このワインは宗教界に新たな話題を提供するに違いないと信じている。 野性葡萄のワインが、 それを楽しむ人々が宗教への理解や親しみを拡げ、 信仰をより深めるきっかけともなったら…と願っている。
イースターが移動祝日である理由イースターが年によって日が変わる本当の理由は、 もし日が固定されていたら--例えば4月8日--、 グッドフライデー--例だと4月6日--に生まれたクリスチャンは、 一生誕生日を心から楽しく祝えなくなるから、 と半ば本気で信じている。
仕事って何でしょうね人によって答は様々と思うが、仕事って一体何でしょうね? 好きな土地に住んで好きな人と結婚するのは私の夢だが、 それらが叶うのが条件で好きな仕事をしたいと思っていた。 これは私が会社の都合で無期限の転勤を二度喰らい、 上2つの条件が叶わない土地でのべ9年過ごさざるを得なかったからでもある。 ところが昨年から事情が変り、 自分はまず好きな仕事、葡萄栽培とワイン作りから手に入れ始めた。 そうなると自分にとって仕事とは何か考え直さざるを得なくなった。 世の中に仕事の種類は真砂の数ほどあってもおかしくないが、 その中には能力はもちろん、 国籍や年齢の制限もある。 私は日本国籍をまだ持っているので海外のワイン産業に従事するのは不利。 また決して若くない。 そうなると私が次の仕事--好きな人と結ばれながら好きな国に住んでできる仕事--を得るためには私が何をやって来たかと、 私がどんなことのできる人かを表せるものが無ければならない。 それが今の仕事、日本の野生葡萄からワインを作ることなのだ。 私のやり始めた仕事--暫くは無収入だが--は私のアイデンティティーを示す貴重なものに日々なろうとしている。
芸能人やタレントでなくて良かったと思うとき芸能人やタレントやモデルが結婚または入籍したとき、 「(新婦は)妊娠しておらず…」と新聞や雑誌の記事やニュースに書かれているのを見たとき。 |