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■ 寝台列車初挑戦の巻。
今日はベンに悩まされることなく ぐっすり眠れた…爽快だ。 が、しかしベンの様子が明らかにおかしい。 いつもなら朝食の最中に隣に座ってくるし 遠くから名前を呼んでくるのに今日は無い。 ベンは運転手のおじさんと二人でひっそり 食事をしていた。目をあわそうとしない。 昨日まで私とぽん子の目が死んでいたのに 今度はベンがダイイング・アイズだよ。 匡子ちゃんの一発がよっぽど効いたのか。 それとも普通に胃腸の調子が悪いのか。 匡子ちゃんはそんなにきつく言ってない。 といっていた。露骨過ぎる男、ベン。
午前中になるとベンのことはすっかり忘れていた。 最初塩の湖トゥズ湖にて下車。 でも、地平線のかなたに湖は見えているが あるけどあるけど近づかない。 白い砂の道が続くばかり。 これじゃ下車した意味無いじゃん。 無我夢中で湖に猛進していた。 気がつけばみんなの団体は遠くなっていた。 遠くで笛の音が聞こえて我に返り 私たちは召還されたのだった。 ※笛の音とは同じツアーの男性の 個人的アイテム。日本から持参。 用途は我を忘れたアホを召還する事。 私たち二人は幾度も助けられている。 何故笛を日本からわざわざ持参したのか不明だが 大活躍なのでよしとする。
お昼ご飯は牛タンっぽかった。 私とぽん子は食事がとても早い(男以上)。 みんなが食事をし、トイレ休憩をしている間 とても暇をもてあそぶのでレストランの近くを 探索することにした。
近くに広場があり、吸い寄せられていった。 大きな道が続き、池があり芝生が生えている ほのぼのした広場だった。 浮浪者の人に凝視をされた。 パトカーに乗っているポリスメンにも凝視をされた (助手席の人も運転席の人も。 危ないよ!と突っ込むのももう疲れた。 それほどみんな運転していても凝視は止めない) 広場にはタルカンの音楽ががんがんに流れている スケート場があった。 トルコの国旗柄で後に「turkiye」と書かれた Tシャツを着ている青年を発見した。 結構年代関係なくこの赤いトルコT着てる人 多いんだよね…。 私は20年生きてきてまだ日本で 日本の国旗Tシャツ着ている人見た事ない。 愛国心の差だろうか。 しかし私は日本好きだが日本T着たいと思ったことは まだ一度も無い。 帰り際凝視されていた浮浪者っぽい人が近づいてくる。 さくらんぼを貰った(多分広場に実ってた奴) なんの疑いもなく食べた。 美味しかった。有難う。
(アンカラ市内観光に関してはネタはあるけど省略)
夜、寝台列車に乗る。期待してたんだよね、コレ。 まだ挑戦した事ないんだもん。 電車がくるまでホームで暇をつぶす。 待合室にいたらまた多くのトルコ人の 熱いまなざしにやけどしそうになる。 そのうちの一人の若者がしきりにウィンクをかます。 私も負けじをウィンクしたら激しいまばたきになった。 ウィンクは練習しないと出来ないものなんだね。 お兄さんはウィンクうまくできるようになるまで 頑張ったんだね。
待合室から出たら外にいたおじさんに呼び止められ 隣に座れとジェスチャーで命じられる。 座ってみたらトルコ語で猛烈に話し掛けてくる (独り言かも)。意味が分からない。でもなんか嬉しそう。 おじさんが、持っている袋に入った箱をさして しきりに「ロクムロクム」という。ロクムらしい。 意味なく「あはは」と笑ってみたら 意味なく「うははぁ」と返したおじさん。 なんだか可愛かった。
電車がきたので乗り込む。1等寝台なんだって。 二人部屋の小さな2畳くらいの個室になっていて 座席が二つ並んでおり、洗面台と鏡までついている。 冷蔵庫もあり、中を開けたらスナックと水を見つけた! 入っていない場合もあるようなので、 見つかった私たちはラッキーなんだろう。 ベッドは組み立て型になっており、座席が ベットに変形するのだ。 ぽん子が下で寝たいというので私は上になった。 が、上ってみて気がついた。 私は高所恐怖症だった。 恐くて下が見れない。ぽんこの様子が見れない。 ベッドを作ってくれるおじさんが現れ、 「ベッドの組み立て方間違っている!」といっているようだった。 しかし私は恐くて降りれなくておじさんは 私を上に乗せたままガタンガタン組み立てなおした。 恐かった。 必死すぎてチップ払うの忘れた。 夜はトイレに降りれなくて壁にひっついて眠った。 初めての寝台列車は恐怖体験だった。
2003年09月30日(火)
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