Sotto voce
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2005年04月10日(日) 話し言葉に関するいろいろなこと。

社内で「これ読んどけ」とばかりに回覧されてきたとある本。

読めば読むほど自分が普段口に出してる言葉が

「頭の悪い人の話し方」に該当しているようで

ただでさえ自分の言動に辟易していたところに

追い討ちをかけられたようでさらに凹む。


・・・口下手と人付き合いの下手さを克服しようと

試行錯誤してやってきたことが、

結局自分の格を下げているということに気づかされる。

この本の著者の自論を自分に当てはめて分析してみると、

私はかなり『困ったちゃん』な人間になるらしい。


まあそうだわな、自分の気持ちを自分の中で消化できなくて

こういうところでいかに自分が辛いかとかそういうことばっかり

つらつら述べてるところとかね。


『頭のいい人』になりたい。勉強とかじゃなくて人間として。


知人に「人見知り」ということがどういうことか

自分には理解できないと言う人がいる。

確かにその人は、たくさんの友人に囲まれ

人脈にも恵まれ、人間的魅力にあふれている。

人見知りをする性格とそういうことに縁がない性格

その差というか、区別は人間として生まれ、

人格形成をしていくうちのどの時点で決まるんだろうか。







面と向かっていえないから

言葉を話すときにもいちいちいらんことまで考えて

考えすぎて結局人に不愉快な思いをさせてしまったり

自分の思ったことと間逆のことを言ってしまったり

自分が伝えたいことの一割も伝えられなかったり。


それでもこんな自分のことを見守ってくれてて

何かと気にかけてくれて声もかけてくれて。

そういうみんなの気持ちに応えられない自分。




ごめんなさい。

こんなあたしでごめんなさい。








安積 紗月 |MAILHomePage

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