山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年06月11日(水) またMRIの窯に入る

朝一番にシャワーを済ませようと思っていたら、「心エコー」の検査に呼ばれた。
戻ってすぐにシャワー。広い浴室で妻から洗ってもらう。
10:30、青坂看護師とご対面。北海道出身とのことだ。
向かいの山田さんは手術の開始予定時刻が早まったらしく、看護師たちもあわてている。昨日の萬谷看護師が見習い看護師に指示を出している。一応一人前なんだ。

午後、母と娘が来る。心配かけて申し訳ない。母は私の顔を見て安心したようだ。市民病院までバスの乗り方がわからずタクシーできたそうだ。今度も無理せずタクシーにしろよ。
妻の車を娘が運転し、母を乗せて帰る。心配だが妻の運転よりはましかもしれない。

今日予定のMRIになかなか呼ばれない。時間の予約ではなく"on-call"といって、空き時間に呼ばれるものらしい。仰向けに寝るのはとてもつらいので、痛み止めの注射をしてもらう。16時過ぎMRI検査に入る。昨日も会った桝谷検査技師がジョークを飛ばしながら、「がんばろう」と励ましてくれる。しかもここには中学の先輩:巻(旧姓:伊藤)厚子さんがいて
「とうしたの望君?」ときかれる。
「歩けなくなっちゃいました。」

MRIは振動や動きに弱いので、動かないように。くしゃみや咳もしないように。と言われて横になる。数十分間微動だにせず、汗びっしょりになった。
「よくがんばったね。」
とねぎらわれる。

最後に「私の大事な後輩なんだからよろしくネ」と巻さんからスタッフに一言。
一同「だいぶお世話になったみたいですね。」
私「すんごく世話になりましたよ。」

夕刻、主治医の成田先生に呼ばれる。病状の説明があった。脊椎に腫瘍があるのだそうだ。他の悪性腫瘍からの転移ではなく「多発性骨髄腫」という血液の異常による。ただし化学療法によく反応するタイプなので直るらしい。ただし脊椎の手術は必要。

まあ目標は「生還」そして「復活」としておこう。


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