山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年06月19日(木) ナースコール

朝の検温の時におとといbiopsyを実施した際、背中の針の穴に当てたガーゼはもう取ってもよいのではないかと若い看護師に話したら、自分の知識としては実施日を含め2日で取ってよいはずだが、今日はベテラン看護師がいっぱいいるから訊ねてみて欲しいという。(でも私が訊いてみろと言ったことは内緒でネ)
点滴時に別の看護師に話したら、今度は明日傷の巡回があるからそのときまで待って、ということだった。いったいどーすりゃいーの?
結局午後2時を過ぎてから成田先生が「背中を見せてください」とやってきて、ベリベリと剥がしながら背中を押してみて、「シャワーをしても大丈夫ですよ。」と取って行ってしまった。

午前11時過ぎ、午前の点滴が終わらないうちに八戸高専バスケットボール部OBの上田正人先輩が見舞ってくれる。彼は脳卒中に倒れたとき、市民病院で予兆を見逃されたとのことで、市民病院を全く信用していないらしく、手術は労災病院のほうがいいのではないかとか、医者は若い方が体力があるから良いとか、散々自論を展開していった。(バスケットボール協会のほうはよろしくお願いしますね。)

向かいのベッドの患者さんの点滴が終了したため、ナースコールをしたところが10分たっても一向にくる気配がない。ボタンに手が届かない状態になっていたため、私のほうから再び呼んでやったらやっと来た。

ところでこのナースコールだが、ボタンを押すと向こうから看護師が応える。ほとんどが「どうしましたか?」あるいは「どうしました?」である。これはイントネーションによっては結構威嚇的である。年配女性の太い声で「どうしましたか?」はおっかない。ボタンを押すのに勇気がいるのだ。そんな中、何人か「どうなさいました?」という女性看護師がいる。これは優しいしとても暖かい。ナースは医療のスペシャリストであると同時にサービス業の提供者であるべきだ。(ちなみに、病院の格付けなどにこの辺は考慮されないのか)

パソコンのカタログを依頼していた古里電気商会の成民氏がお見舞いまで包んでやってきた。肝心のLet's Noteのカタログがない。再度依頼する。

夕食後、薬剤師がやってきて、点滴に使用している「ロピオン」という痛み止めの説明をしていった。点滴用の薬は提供用の情報がないので、類似の飲み薬の情報カードを持ってきて説明してくれた。

その後、田中光彦・ふさ子夫妻が見舞ってくださる、田中さんたちとはお互い結婚前からの付き合いだ。青少年活動に熱中していた時期があった。それぞれその活動が縁で結婚したようなものだ。今でも光彦さんと私は市庁郷土芸能保存会でご一緒させていただいているし、妻はふさ子さん経営の美容室「モンパル」にしばしばお手伝いさせてもらっている。光彦さんは豊崎町出身なので同町にある阿部医院の話で盛りがったし、ふさ子さんに紹介され通った鍼灸院「八正堂」の話題も出た。

買っただけでためておいた立花隆の本を持ってきてもらったので読み始めている。まず「脳を鍛える」東京大学での講義「人間の現在」(1997/6〜1998/6)を一冊にまとめ2000年3月に出版されたものである。面白いがかなり難しい。さすがに東大講義である。

もう一冊、やはり2000年7月に出版された「新世紀デジタル講義」であるが、97年の講演がベースとなっており、up-to-dateなものではなくなってしまっていた。序章は「サイバーユニバーシティの試み」で、東大で行った講義を、ホームページを作成し掲載して公開するということを紹介したものだが、今どきこれはどこでもやっていることになってしまっている。


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