山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2013年02月25日(月) |
「市民会館」の思い出 |
むかーし三八城山の入り口、今は児童館か孔雀荘跡が駐車場になっている辺りに市民会館があった。貧弱な建物だったがその頃は気にも止めていなかった。
幼いある日母に連れられて大川橋蔵一座の公演を観に行ったことがあった。けっこう前に座れたので、後ろの人が投げた紙テープが後ろこんどにガツンとぶつかり、幼い自分にはかなり痛かったと記憶している。だから芝居よりもテープの痛みの記憶しか残っていない。
学生時代に軽音楽部でロックをやり始めてからも八戸にあるホールはその市民会館のみであった。ある日ロックのシンポジウムがあって、あまり売れていないロックグループと何人かの音楽評論家が来た。その中に湯川れい子もいたのでどうしても聞きたいと思った。そしてパネルディスカッションで彼女が言ったのは
「どうしたんですか、この市民会館は。その辺の小学校の講堂でもあるまいに。市長は何をしているの?」
一斉に拍手が沸き起こった。しかし私は拍手をする気持ちになれなかった。湯川氏の言葉にとても恥ずかしい気分になったからだ。それから数年後近くに県内でも立派な公会堂が完成した。その後しばらく県内の音楽シーンをリードした。
やはり大津秀一著「死ぬときに後悔すること25」で紹介されていた本ではなかったかと思う。星野氏は器械体操の先生だったが、指導中の事故で頸椎を損傷し首から下の自由を失う。
その後数年のリハビリの後、口で筆をくわえて絵を描けたり文字を書いたりできるようになる。そして自作の絵や随筆を集め絵本形式にまとめたのが本書である。とても口で筆を運んだとは思えないような美しい花の絵や、こんな境遇にあるとは思えないポジティブなエッセイは読む人すべてに感動や勇気をもたらしてくれると思う。
星野さんは車椅子に取り付けた鈴がチリンと鳴るたび、始めのうちはうるさいと思っていたそうだ。ところがいざ実際の路上に出てみると、道に穴が開いていたり段差があるような所でその鈴はチリンと鳴って教えてくれていると思えるようになったという。 鈴の音一つでも、物事の見方や考え方によって意味が違うことを、この「鈴の鳴る道」が教えてくれたのだ。
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