ちょうちょうの気持ち
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毎日暑いけど、やっぱり盛りを過ぎたという感じがします。 夜が過ごしやすいのかな。 やっぱり「立秋」というのはそれなりに根拠があるもの なんですかねぇ。 友人のブログの受け売りですが、今住んでいる街では 花火大会が夏の境目らしいです。 花火大会の終わりが、「夏の終わり」の始まりなんだって。 なんか詩的な表現だよね。
で、わたくしですが、なんか疲れが取れなくて 仕事以外では(だと思う、あくまで)だらだらしてしまっています。 海にも行く気がしません。 これはけっこう重症でしょう!?
祖母の本棚の上の仏さまコーナーに父の小さな遺影も置いて 線香とかあげながら、父が亡くなった時の自分の反応というか、 危篤と聞いてなにがなんでも飛んで行きたい!!! と思わなかったことについてつらつら考えたりもしています。 そのときは羽田まで行く方法がないと思ったけど考えてみたら 車で行けば良かったんだよねぇ。もしかしたら最終の飛行機に 乗れたかも???(11時過ぎなんてないか、いくらなんでも) 宿直勤務だったから、それはそれで大変なんだけど。
まあ、それだけのことをして来た人ではあるけれど どうお金を工面するか、とか 最初は家族で行くつもりだったので動物たちをどうするか、とか 息子のコンクール2次が惜しい、とか そんなことを悶々と思い巡らせてて 父との思い出に涙することもなかったことが ちょっとごめんなさいというかなんというかで。 でも、思い出に涙するとしたら、悔し泣きか???ってなくらい さる事件のあと両親の離婚に至るまでとその後数年のドタバタとか 中川町で同居した数年と出て行く前後とその後のドタバタは 頭に来ることもりだくさんではありました。
こっちに越してくる直前にも父はタイミングよく入院して 引越しの途中で見舞いに寄ったのですが そのときもちょっとだけ「最期かな」と思ったのですが その後また少し元気になって1年くらいは弟の遠隔操作のもと 1人暮しも続けられたくらいだから、今回も・・・・と 思いたかったけれどなぜだかそう思えなかった。
なんだかねぇ、感謝の気持ちがあったとしてもそれを 踏みにじるようなことを平気でやってのけちゃうような男が あっけなくいなくなって、たまにどうしているかなぁ、と 思い出すのがあの世でどうしているかなぁ、に変わっただけ なんですけどね、それでも血的に近い人間が亡くなると それなりに喪失感ってあるのかねぇと そんなこと思ったりしています。
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