2002年02月24日(日) |
裁判官も人の子である |
日経社会面に、ヤコブ病裁判の和解に関する記事が載っていた。
記事から判断すると、和解勧告は、東京地裁、大津地裁で事前に話し合いしたうえで、同一内容の和解案を提示したようである。
このように各地で同種の裁判が行われるとき(例えば公害裁判など)、必ず、東京地裁の判断が注目される。
しかし、司法の独立という意味からは、疑問もある。
すなわち、司法の独立とは、行政や国会から独立しているという意味だけではなく、各裁判所がそれぞれ独立しているということでもある。
そうすると、東京地裁と、大津地裁とは、それぞれ自己の判断で和解勧告すべきであり、他の裁判所の判断に影響されるべきではないといえる。
実は、司法修習生の頃(司法試験に受かって実務に出るまでの研修期間)、水俣病裁判で、東京地裁において和解勧告がなされ、その後、次々と各地の裁判所で東京地裁と同様な内容の和解勧告がなされたことがあった。
そのとき、私は、指導裁判官に対し、司法の独立の趣旨からいって、東京地裁に右へ倣えではおかしいのではないかと聞いたことがある。
これに対し、その指導裁判官は、困った顔をしていた。
建前上は、「それぞれの裁判所は自己の判断で和解勧告したものであり、右へ倣えをしたわけではない」というのが公式の回答であろうが、その裁判官は正直だったから、困った顔をしたのだろう。
もちろん、地方の裁判官といっても、転勤で東京地裁に戻ることもあり、能力がないわけではない。 しかし、それでも地方にいれば、東京の動向が気になる。
ここでは、そのような地方の裁判官のあり方について批判しているわけではない。 組織である以上、中央の動向が気になるというのは自然の成り行きではないかと思う。
結局、裁判官も人の子ということが言いたいのである。
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