2002年10月17日(木) |
「裁判官はおかしい」 か? |
日経(H14.10.17付)広告の中の、週刊新潮の広告で、「裁判官がおかしい」という見出し記事があった。
興味を持って買ってみると、非常識な判決が続いており、最近の裁判官はおかしいという内容であった。
その具体例として、八尾惠子さんの名誉毀損事件を取り上げていた(他の事件も取り上げていたが)。
八尾惠子さんの名誉毀損事件とは、以前、マスコミが八尾惠子さんが北朝鮮の工作員であると書き立て、それに対し、八尾さんとその支援グループが、「スパイであるかのような虚報で、名誉を傷つけられた」とマスコミ相手に裁判を起こした事件である。
裁判所は、マスコミの報道が名誉毀損にあたることを認め、マスコミは敗訴となった。
ところが、その後、八尾さんは北朝鮮の工作活動に関わっていたことを自ら認めるに至り、マスコミ報道が正しかったことが明らかになったのである。
しかし、だからといって、誤判といえのだろうか。
マスコミは、取材源の秘匿を理由に、適切な証拠を出せなかった。
それ自体は仕方のないことであるが、その結果、裁判所は、法廷に出てきた証拠を元に判断を下し、マスコミに敗訴判決を出したのであって、やむを得なかったのではないだろうか。
確かに、裁判官は、八尾さんの嘘を見破れなかった。
しかし、八尾さんには大勢の支援グループがいた。 弁護士もいた。
その人たちも八尾さんの嘘を見破れなかったのである。
後に、八尾さんが北朝鮮の工作員であることを認めたとたん、支援グループは、潮が引くように離れていっている。
週刊誌の記事では、「裁判官は人間としての感性と常識を徹底的に排除していく」と書いていた。
そんなバカなことはない。
人間としての感性と常識を排除したら機械であり、裁判ではないし、最高裁もそのような教育はしていない。
私は、裁判所に対する批判は必要だと思う。
裁判所は、選挙による洗礼もなく、民意から最も遠い存在である。
それだからこそ、マスコミ等による批判によって適正な裁判を確保することは重要であると思う(しかも、裁判官はマスコミを非常に気にする体質がある。)
しかし、適切な批判があればいいが、マスコミ(特に週刊誌)の裁判批判はどうも情緒的というか、適切な批判になっていないように思う。
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