2002年10月31日(木) |
和解に対する裁判官の捉え方と、弁護士の捉え方 |
日経(H14.10.31付)・社会面に、最高裁長官の退任記者会見の記事が載っていた。
その中で、最高裁長官が「すべてを満足させるのは難しく、和解・調停を王道とする手法を考えてもらいたい。」と述べていた。
和解を王道と考えることは正しい。その通りであると思う。
しかし、和解に対する認識は、裁判官と、弁護士とでは少しニュアンスが違うように感じている。
裁判官は、手放しで和解を賞賛している傾向がある。
しかし、弁護士からみれば、和解に対し、裁判官ほど手放しで賞賛できないこともある。
紛争が生じた場合、どちらか一方が100%正しいということはない。
それぞれに何らかの言い分があるものである。
したがって、和解によって互いに譲歩するということは、紛争の実態に即した解決である。
それゆえ、最高裁長官も、和解を王道とする解決を述べたのである。
それは正しいと思う。
しかし、和解した場合に、当事者は納得しているだろうか。
訴訟までするのだから、自分が絶対正しいと思っていることは多い。
それなのに、和解によって相手方に譲歩するわけである。
内心は納得していないことが多いのである。
それだけに、弁護士として、和解が成立しながら、苦い思いをすることはある(いつもというわけではないが)。
他方、裁判官は、和解が成立すれば、その時点で一丁上がりとなり、お終いである。
このような立場の相違から、和解について、弁護士と裁判官では微妙に捉え方が違うように思うのである。
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