2002年12月25日(水) |
米デジタル著作権法に違反した被告が無罪に |
日経(H14.12.25付)・11面に、米デジタル著作権法に違反した被告に、無罪の評決がなされたと報じていた。
デジタル著作権法とは、音楽CDなどの複製防止システムを無力化する技術を流布した場合に刑事罰が科せられるという法律である。
問題になった事件の被告は、電子ブックの暗号解読ソフトをネット上に公開したことが、デジタル著作権法に違反するとされたようである。
ところが、陪審は、暗号解読ソフトが、著作権法に違反することを認めながら、開発・公開時に法を犯す意思がなかったとして無罪の評決をしたのである。
しかし、法を犯す意思がなかったという主張が認められることになると、たいていの犯罪が無罪になってしまう。
包丁で心臓を突き刺して死亡させた場合に、「傷つけるつもりはあったが、殺すつもりはなかった。」といっても通らない。
心臓を突き刺せば人は死ぬ。それゆえ、心臓を突き刺す行為をすれば、殺意はあったと認定される。
つまり、客観的事実から、殺意という主観的要素を推定するのである。
本件についても、暗号解読ソフトがデジタル著作権法に違反することは明らかなのであるから、「法を犯すつもりはなかった」というのは通らない。
その意味で、私としては、無罪評決というのは理解できない。
ただ、根本的な問題として、著作権を保護するために、規制を強めることが果たしていいのかという疑問はある。
著作権の保護を強めることによって、かえってその規制にあぐらをかき、文化や技術の発展の妨げになることがあり得るからである。
そのような疑問から、本件の被告を無罪にしたのであれば、それは一つの見識であると思う。
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