2003年03月12日(水) |
小林亜星が、服部克久に勝訴 |
日経(H15.3.12付)社会面に、小林亜星が作曲家服部克久に対し、「自作の曲を真似された」として損害賠償を請求した訴訟で、小林亜星の勝訴が確定したという記事が載っていた。
小林亜星の言い分は、服部克久の作曲した「記念樹」が、小林亜星が作曲した「どこまでも行こう」に似ているということであり、それを裁判所が認めたわけである。
私は「どこまでも行こう」は知っているが、「記念樹」は知らないので、似ているかどうかは何ともいえない。
ただ、「似ている」「似ていない」といっても、人によって感じ方はずいぶん違う。
この裁判でも、一審では「似ていない」とされているから、著作権侵害といっても、かなり微妙である。
もっとも、この裁判では服部克久は二次的著作物の権利を持つと認定されている。
判決文を読んでいないので、その意味は正確には不明であるが、おそらく、服部克久の曲が、あたかも原曲(「どこまでも行こう」)を編曲したのと同視され、その創作性が認められたのであろう。
以前、「セーラームーン」の主題歌と、倍賞千恵子が歌っていた「さらならはダンスの後に」が似ていると聞いたので、比べてみたことがある。
結果は、「似ている」どころではなく、「そっくり」であった。
しかし、「セーラームーン」の主題歌はテンポもよく、当時の子供たちに大人気であった。
つまり、人の曲をパクリながらも、子供たちの記憶にいつまでも残る曲をつくったのである(その子たちが大人になったときにセーラームーンの曲を聴いて、「懐かしい!」と思うことは間違いない。)。
それは素晴らしいことであり、「セーラームーン」の作曲家にはそれなり権利を認められるべきであろう。
これが先の判決にいう二次的著作物の権利ということなのだろう。
人の曲をパクリながらも(意識的にパクッたかどうかは別にして)、創造的な曲を作っていく。
芸術というのはそのようなものなのだろう。
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