2003年10月17日(金) |
ダイオキシン報道の最高裁判決について |
日経(H15.10.17付)1面の「春秋」欄(「天声人語」みたいなもの)で、所沢ダイオキシンの最高裁判決について書いていた。
「春秋」では、ニュースステーションの報道を聞いて、所沢の野菜がダイオキシンに汚染されていると思わないほうがおかしいと書いていた。
ところが、「春秋」の最後では、最高裁がテレビから受ける全体の印象から判断すべきとしたことに対し、「印象だけを理由に報道の自由を制限していいのだろうか」と疑問を呈していた。
何だか論旨のよく分からない、腰の据わらない論述である。
汚染されてもいないのに「汚染されている」と言われた所沢の農家の人の怒りは当然であろう。
しかし、放送において、久米キャスターが「野菜ですね」と言ったのに対し、分析した専門家は、「いや野菜ではありません。葉っぱものです。」と言って、久米キャスターの言うことを訂正していない。
このようなやり取りの中では、汚染されているのが野菜であると考えても仕方ないのではないか。
この場合にまでテレビが責任を問われるとすると、テレビの報道は慎重にならざるを得ず、報道を萎縮させてしまいかねない。
この事件に関していえば、農家の怒りは当然であろう。
しかし、もともとごみ焼却を放置したのは行政の責任である。
とするなら、農家が被った損害も行政によって填補すべきではなかったかと思う。
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