2003年11月10日(月) |
裁判官への民主的コントロールは国民審査だけではない |
日経(H15.11.8付)で、国民審査で最高裁の裁判官が全員信任されたと報じていた。
これまで国民審査で裁判官が不信任となったことはないし、これからもないだろう。
国民審査の制度趣旨は、最高裁裁判官に対してリコールできる余地を残し、民主的コントロールを及ぼそうとするものである。
その理念はまことに立派である。
しかし、不信任の可能性がないのだから、現実にはまったく機能していない制度といわざるを得ない。
ところで、地方では、問題ある裁判官が赴任して来ると(何をもって「問題ある裁判官」というかは別にして)、弁護士有志が、その裁判官に栄転していただきたいという上申書を裁判所所長宛てに出すことがある。
「栄転運動」というのだが、要するに出て行って欲しいという要求である。
これなどは、ある意味でリコールみたいなものである(手法としては好きではないが)。
また、先日、弁護士会から、問題のある裁判官についてのアンケートが来た。
そのアンケートでは、裁判官の氏名を書き、どこが問題なのかを具体的に書くようになっている。
但し、匿名ではダメで、責任ある回答が要求されている。
かかる手法も民主的コントロールを及ぼす手段といえる。
裁判官はこのようなアンケートは嫌がると思うが、民意を反映する一手段として評価したいと思う。
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