長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年02月10日(火) 充たされぬ隙間

 スカボロー・フェアをラヂオで聴いた。なんて哀しい曲。聴き慣れた曲の筈だけれど。

 「親しき仲にも礼儀あり」には大いに賛成なのだけれど、親族間でも之は通用するものかしら。子が親に礼儀を払うことと、親が子に礼儀を払うこと。
 第三者の目から見て、如何だって構わない。仲睦まじく見えようと、其れが本当とは限らないことを、知っている。或いは、感情とは常に一方通行であることを知っている。自分を殺し他者に合わせるということが如何に容易且つ困難であることかも、知っている。
 暗黙の条件というものは、何処にであるものだろう。どのような関係の中にでも、あるもの。私が、両親、殊に母に、そして兄に、決して逆らわないように。不満を口にしないように。私生活の愚痴を洩らさぬように。常に機智に富んでいるようにあれと。私にとって見れば他人の理想を、私自身の理想と掲げて。――幼少時よりそんな中で生活していれば、最早自分自身の理想など何処に在るか知れないわけだけれども。
 神様が見過ごした瞬間。私が此処ではないアナログの日記の中でそう形容する瞬間を、忘れはしない。生まれて初めて味わった絶望と恐怖。生と死の関連性さえ容易に想像させてしまった、神様の盲点。

 或る女性が、「強くなりたいなんて願わなければ良かった」と記していた言葉をよく反芻する。私は、今でも強くなりたいと願っている。










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