しつこく書くけれど私は無目的に街を徘徊(…)するのが嫌いで、友人とウィンドウショッピング、というのは私にとって無目的以外の何物でも無い。然しまあ、友人と遊びに行く、といったらカフェでお茶するかウィンドウショッピングするより他無いわけで。……疲れるだけだと解ってはいるのだけれど、断れないのよね。 例えば其れが旧友であっても、矢張り疲れるものは疲れるわけで――何が疲れるのかって、歩くことなのか、相手に合わせることなのか、人込みに居続けることなのか、私に判断する方法は無い。或いはそういう事情全てが相俟って疲れるのかも知れない。
夢を見る。 其れは現実には絶対に在り得ないことであると認識しながら、私は夢の中に居座り続ける。居心地は悪くない。とても嬉しくて、同時に甚く哀しくて。私は眼を醒ますと両目を赤く腫らしている。夢の内容を思いだそうとしても細部を反芻することは出来なくて、断片が途切れ途切れ脳裡に浮かぶだけ。
夜の夢なんて日常生活には然程影響しないもので、他人と共に居る時など其の存在を忘れている。或いは、無意識というものが意図して忘れさせているのかも知れないけれど、如何せん無意識の遣ることなので認識出来よう筈も無い。一人で思考に耽って居るときであればいざ知らず。若しくは、他人と居ても会話が無い時。 私は多分常に思考の一部が動いていて――其れも意図して動かしている部分と無意識に動いている部分の二種類が在って、所謂「ながら族」に近い状態なのだろう。誰かと、真剣な話題をしている時でも、私の脳は違うことを同時に考えている。其れは私自身に関することが多くて、私にとっては真剣なこと、或いは他愛も無いこと……夢の内容だったりもするのだろう。
如何してか相談役になってしまう私は、友人との会話は歓迎すべき事ではない。会えば相談を持ち掛けてくるような友人を、私は如何しても好きにはなれない。私自身は、別段他人に相談するような事柄を持ってはいない。――否、問題が自分にとって大事であればあるほど、事が大きければ大きいほど、私は他人に相談なんか絶対にしない。だから、相談する人の気が知れない。 結局は自分で決めるしかないのに。然も、大概其の答えを彼等は既に持っているのに。其処までの道筋を照らし出されなければ辿り着く事が出来ないなんて、可変しい。 笑って切り捨てられるような相談なら兎も角、人生を二分するような相談を持ち掛けるなんて。
夢を見る。 醒めても未だ、私は夢の中に居る。現実と夢の境界線を私は知っているから、其の境界線上に佇みたい。
|