長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年03月19日(日) 砂溜まり

 演じるのは容易だ。――今でも、私はそう思っている。


 従妹(大学生)が実家に帰ってきているらしく、久々に会う。私より一つ下で、私と同じ高校を母校として、一浪して大学に入学して今は他県で一人暮らししながら勉学に励んでいる(筈である)。第一子長女という環境も手伝ってだろうか、私よりも活発で、同じ街に育った所為だろうか、他の従姉妹達よりは話が合う(寧ろ馬が合う)娘。一緒に遊んだ記憶は少ないけれど。――そう言えば、従兄弟姉妹と遊んだ記憶って、殆ど無い。御正月と御盆くらいしか会わなかったからだろうか。元々人見知りの激しかった私には、あまり関係の無いことかも知れないが。
 桃(従妹の住む県の特産だ)饅頭を御茶請けに、トワイニングの300周年記念ブレンドの紅茶を落とす。従妹は、よく喋る。私は普段から相手によって聞き役にも喋り役にも転じるけれど、こういうときに感ずる。私は、如何やら聞き役タイプらしい。喋っている相手を遮って話し始めることは、好かない。言いたいことが山程、脳内でぐるぐると廻っていたとしても。
 雄弁は銀、沈黙は金。
 でも。言わなければ理解されない。でも。言ったところで、理解されるとは限らない。私は一パーセントの可能性を否定する。言葉を紡いだところで、相手は其れを理解するだろうか、否、しないだろう。私は、雄弁より沈黙を選ぶ。選びたい。無用な誤解を与えるより、理解されない方が良い。どうせ、人間が他者を理解し切ることなんて、皆無だ。
 雨も雪も降らなかった。天気予報は大ハズレだ。代わりに空は晴れたり、曇ったり、忙しない。雲が広がって陽が遮られるたび――疼く。痛む。悲鳴を上げる。庭は、黒ずんだ雪に覆われている。此の雪が完全に解けるまで、春は来ない。
 紅茶は、ダージリンベースの品ある味だった。桃饅頭のほんのりした甘みが丁度良く合う。珈琲を飲めない従妹は、角砂糖を一つ溶かして紅茶を味わっていた。勿体無い、砂糖なんて要らないのに。私は言ったけれど、彼女はのほほんとして甘い紅茶を飲んでいた。


 砂時計から零れ落ちる時間が、溜まってゆく。










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