長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年09月29日(金) 思考と未来と

 どうか、一筋の光を。


 二泊三日で東京へ。
 不安と緊張とが其々一握りずつあって、残り大半を占めているのは妙に冷静で無機質な何か。ホテルに着いたら、もうこんなことは言ってられないのかも知れないけれど。――奇妙な感じだ。

 試験――というものは、特殊であるように感じる。殊に、入試なるものは。合格後には必要としないものを要求されることがある、其れは、基礎学力と言えなくもないけれど。出題側の意図を――意図が、何処にあるのか、何に向いているのか、受験側はきっと考える必要がある。検定試験だってきっと同じことなのだろうけれども、此の国では意図や意義や目的が、全部ひっくり返ってしまっている。

 外国語ならば基礎学力、或いは今後の文献読解力。
 小論文ならば己の思考を記述する力、或いは過去の知識力。
 ……二択なら、私はどちらを選ぶだろう。どちらを選んでも自分を知って貰うには物足りないだろうな、と思う、けれども、私は後者を選択したのだから、文字上で知って貰うしかないのだ。私が、三年半に渡り遣ってきた事を。
 これだから、試験って嫌だ。勉強は嫌いだ。学ぶことは、好きなのだけれども。


 帰りの機内では、翻訳をしよう。ずっと考えていた。私は、遣りたいこと、遣ってみたいこと、色々あるけれども、只管に取り込んでいくのではなく、本当は、少しずつ消化していきたい。



 悪夢の続きへと延びている、道を、歩んでいく。










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