長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年10月02日(月)

 東京って実はとても田舎じゃないのか――? 此処に来る度に、そんな風に思う。此処は、私の街になるのだろうか。……今はまだ、わからない。


 試験。試験って、何を試されているのだろう。
「何がしたいの?」
 そう、問われる。そうではない。其れも重要なのだろうけれど、そうではなくて。「私に何をさせてくれるの?」私は、そう問い返したい。私に、一体全体何が出来るだろう。人生40年の時代では成人(元服や裳儀)が15歳頃。現代は人生80年なのだから、成人はきっと30歳くらいなのだ。畢竟四半世紀にも満たない私はコドモなわけで。私は、逃げるつもりはないしモラトリアムに安住するつもりも皆無なのだけれども、それでも、オトナって狡い。こうやって試されているのは、何? 基礎学力? 研究熱意? それとも、人格? 見ている振りだけ、実のところ何も見ていないじゃないか。

 千歳に降り立つのは大抵夜だったから、見えるのは自動車の行き交うライトが作り出す幹線道路の筋ばかり。其れがあまりに強烈な印象として残っていたから、昼間(と言っても夕暮れ間近だったけれども)久々に降り立って、嗚呼、千歳ってこんなに畑の多いところだったかしらと驚いた。
 東京の夜景は、光の蜘蛛の巣。あれは、人を殺す網の目だ。――独逸帰りにそう思ったのを覚えている。何時見ても、ネオンは好きになれない。










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