2006年10月18日(水) |
過去の記憶、追懐と未来 |
こんなんだから、切らずにはいられない。 久方振りの赤い線は三本、だけれども、思い切り強く絞り上げた挙句冷やしたので、小気味好いくらいには流血しているよ。
怒りよりは、呆れと厭きれと。 こんなにも、人は身勝手になれるものか――と。幼い頃から、「ひとには優しくしなさい」と言われ続けてきた、其れがこのような形で自分自身に跳ね返ってくるとは、自分自身に仇為すとは。
記憶を掘り起こす。原点を見出す。己の――今を構築する、其の一部の、成り立ちのプロセスを認識する為の、作業工程。
其れは小学六年生の時だったと思う。 当時の私は委員を務めてはいなかった筈だ。けれども、重役を歴任してきた事実は変わらず、其れを知る者は自身だけに留まらず、当然ながら学友達にも先生方にも、周知の事実だったわけだ、全く不本意ながら。 何か――そう、急なイベントがあって、クラスで何か出し物(?)をしなければならなかったのだ。何をしようかと学級会を開く暇も無かったくらいで、歌唱力に定評のあったクラスだったこともあり、数曲歌おうということになったのは即決だったように思う。担任は、其れが気に入らなかったらしい。あれは昼休みだったろうか、音楽室で歌の練習中、私と、もう一人女の子、ナオ、が、担任に呼び出された。教室だった。 当時の私は委員を務めてはいなかった。ナオも委員ではなかった。学級代表は別に二人、しっかりといた筈で、何故私達が呼ばれたのかは今以ってわからない。わかりたいとも思わない。ただ言えることは、私もナオも慣れた人間だったということだけだ、つまり、人の上に立つということに、主導するということに、好む好まずに関らず。
何故、話し合いもせずに安直な結論を出したのか――。
そんなことを数十分に渡り言われた気がする。私もナオも、何故私達が叱られているのか理解できなかった。否、理解はしていた、其の上で納得できなかった。良くも悪くも上に立ってきた経験を持つということは早熟だったということでもある。 当時の私は委員でもなければリーダーでもなかった筈だ。にも拘らず学級代表そっちのけで叱られた。この衝撃は小さくなかった。私達は――多分、学んだのだ。役職は関係ない、実績が問われる社会があって、其の中においては能力の限界が要求されて、手を抜くことは許されないのだ――と。
結局、イベントでは歌を歌った気がする。
其れ以来、私はリーダーになることを避けてきた。中学では私の小学時代を知る友人が多過ぎたのでどうしようもなかったが、高校では努めて粛々と過ごした。まさか大学で 復活 するとは思いもしなかったけれど。
役職は関係ない。能力の限界まで尽くさなければ、周囲は納得しない。
これは、言ってはいけないことだと思う。
私にだって遣るべきことが他にもあって、特別週間にだけ打ち込めるわけじゃない。 週の半分は海の向こう側に居たのに。 体調を崩しているのに。 作業も、買出しも、全部が私の仕事。
言ってはいけないことだと思う。私が、今は主導している以上、言ってはいけないことがある。上に立つ者は、恨みも僻みも絶対に言ってはならない。
つらいのは私だけじゃなくて。 忙しいのも私だけじゃなくて。 体調が悪いのなら、化粧で隠してしまえば良い。顔色は血色良く、笑顔はコミュニケーションの基本だ。 頭痛も胃痛も薬で抑えてしまえば問題無い。
今日は随分綺麗な青空だった。本当に厭味な程に綺麗な空で、小説の原理には反している気がする。曰く、登場人物の心情は天候に表れる――。否、最近は故意に心情と逆の風景を描いて強調させるのかしら。 風は冷たくて、空は高くて、世界は澄み渡っていて。
……こんな天気じゃあ、泣きたくたって泣けないじゃないか。
もどかしい。 私は、何て無力なのだろう。
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