長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年11月07日(火)

 揺籃 ゆらゆら 揺られて 堕ちて。

 僕等の 夢も ゆらゆら 堕ちて。

 未来も 一緒に ゆらゆら 堕ちた。



 時計の秒針が動く度に、私は何かを失っていくような思いに苛まされて、畢竟、如何することも出来ずに夜は過ぎて朝を迎えるのだけれども、私達の――僕達の、明日、は無いのかも知れないと、思わずにはいられない昏い一日。雨と、雷と。強い風と、低い空と。大体、今日と明日の境目が午前零時なのかと問われれば否と答えざるを得ない現在、矢張り昨日と今日の境目も、今日と明日の境目も、存在しないのではないか? 現在、という言葉が非常に曖昧である――過去と未来の境界が現在だと言うことは可能だけれども、其れが 点 であることも理解は出来るけれども、其の 一瞬 を捉えることは絶対不可能であるように思われる――ことを含めるにしても除くにしても、今日なるものの存在は危ういのではないか。ならば実際昨日も明日も其の存在は危ういに違いない。ほら、矢張り世界は破綻しかけているのだよ、君。










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