長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年11月16日(木) 翼の行く末

 昨日水曜日、ゼミナール及び卒論。

「卒論を書き上げる為に、何が欲しい? 例えば、フィードバックしてくれる友達、とか」

 皆は何と答えただろう――「ゼミが終わった後の時間かな、刺激された後だから」「やっぱり友達、一緒に悩んで議論できる人」「時間でしょう。時間がもっと欲しい」等々。
 私の答えは明白だった。――声には、出来なかったけれども。

「ただ静かな場所があれば。静かな場所で纏った時間――半日くらい一人で居られる場所」

 家に居れば煩わしさが付き纏う。自室に一時間も閉じ篭もれば親から声が掛かる、そうでなければ如何でも良いような家族の討議の声が響く、若しくは兄と母の喧嘩染みた口論が始まる――。そんな中では卒論は愚か宿題だってまともには出来ない。其れでも何とか 不真面目者 のレッテルを貼られずに済むくらいには尽力して、今日まで生きてきたわけで。私だって好い加減、外に出たいのだ――其れが 逃避 であっても良いと思うほどに。

 逃避。
 空を飛ぶ翼に喩え、私は自らを片翼と称してきた――長い間に渡って。其れを更に明確な言葉に変換してくれたのが、恐らく「浮遊」と「飛行」の差異を物語ってくれた作品に不意に出会えたことと無関係ではないだろう。
 私は、自分の翼の行く末が「浮遊」でも「飛行」でも構わないと思っているわけだ。以前は、「飛行」であると信じて疑わなかったものだけれども――これが単なる「浮遊」であっても、私は此処から離れたいと思っている、其れだけが一つの事実として残るのならば構わないと、考え始めている。










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