長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年11月28日(火) 『  』

 空白は、未だ埋まらない。


 家に居ると――苛立ちが収まらない。其れでも帰宅時間は定められているわけで、其れぎりぎりに家に着くよう、私は努めて大学図書館で時間を潰す。幸か不幸か――遣るべきこと、遣らなければならないことは多い、山程ある。そういった意味では 幸い と言うべきか。
 体調を崩している事を、季節の変わり目と判じるのは容易い。もっと内側に理由が在るのだとすれば、其れは判じようが無い。他者に――軽々しく語る言葉を、私は持ち合わせていないのだ、其れならば何を語ろう、相手に合わせて、私は言葉を選ばなければなるまい、聞く言葉も、語る言葉も、同様に。コミュニケーションが――互いに理解し合える、つまり 同じ日本語なる言語を使っている以上理解し合えねばならない 等といった暗黙の諒解は、幻想に過ぎない。私は、だから、常にアプローチしなければならないのだろう、自ら語り掛けを行おうと思うのならば。
 家族に対して――私は、自ら語り掛けをしたいと思わないのだから、其れは謂わば 欠陥 とでも言うべきものだろう。儒教的に考えれば在り得べからざる事で、或いは多分如何なる思想の下でも――其れが順当な宗教的であればあるほど――在ってはならないことなのだろう。心の病、等とは死んでも言うまい。そうではなくて。もっと根源は、別のところに在るように私は感じている。

 畢竟、人は一人きりで生まれ落ちて、一人きりで死んでゆくのだ――。私の目の前でそう言った詩人が居る。あまりにも印象的な言葉。日本では嘗て文化勲章を授与され世界的にも有名な其の人には、来月に会える予定だ。加速した時の流れを穏やかに戻してくれる人。語り掛けに、恐らく一際気を使っているであろう人。あのようになりたいと思うのは傲慢だ――私は私の道を歩むと決めたのは、私が未だ幼い日の頃のこと。










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