的といじの日記
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2002年01月25日(金) てゆうか、など

 ”てゆうか”という言葉が優香の名前の由来だというのは結構有名な話だと思うけれど、それはさておき、指揮者の小澤征爾が今朝ワイドショーのインタヴュー(番組名は忘れた)で”てゆうか”(もちろん接続詞)を連発していたのには驚いた。卑俗な若者言葉ではなかったのか?もちろん氏はとうに還暦過ぎのおじさまなのですが・・・。抑も”てゆうか”は広く用いられていたんじゃあないかという疑念が湧き起こる、てゆうかバッシングが巻き起こっていた当時から釈然としないものがあったけれど、つまりそれは妙な語尾のばしが”てゆうか”という言葉と結びついた為に不快感を感じさせるものと成り、且つ受け取る側が揃いも揃って自己の感情の原因を取り違えていたということなのではなかったか、ふと思う。
 閑話休題。cmでは背景色もしくは背景が重要な要素であることは誰の目にも明らかだ。スーパーのCM例えば、イトーヨーカドー、ダイエーなどのCMがある種土臭く垢抜けないのは、商品の値段を前面に出していることに一因がある。しかしそれならば”欧米”のイメージの具体化のような自動車のCMにだって値段を出しているものもあるわけで、強い理由とはいえないだろう。最もたる原因は背景が一色のベタ塗りだという点にあるだろう。あまりに安易な感じを与えるのである。経費節減で安さをアピールできた時代もあったろうが、今となっては百貨店や専門量販店と同じような品を同じような値段で置いていても、なんか安っぽく見られてしまうだけである。このことがスーパーの没落の遠因のような気がするのだが。
 スーパーや洗剤のCM(若い、もしくは少なくともオバサン太りしていない主婦とおぼしき女性と子供そしてなぜか一軒家の庭というものばかり、なぜ?)はそれとして、本題に移る。化粧品のcmはどうしてメタリックが基調なのか?大手になればなるほどその傾向は強まるのであるが納得いかない。プラチナもしくは銀の輝きは宇宙服もしくは氷山などを連想させるように”手の届かない遠い権威”をおもわせるのは確かであり、紫外線という細胞にとって有害なものに近いという点から権威を生じ古代あらゆる文明で高貴な色とされた紫とともに美を訴える力が強いのは分かるが、現代では化粧品に求められる効果は必ずしも遠い存在としての美ではなく、親しみやすさとしての美である場合の方が多いのではないだろうか。それなのにメタル系の色にこだわるのは不自然に思えて仕方ない。なんだかんだ言っても、結局化粧品なんか使わないから分からないんだけれど。実際どうなの?さらに、女性タレントは化粧品のCMに出たら一流と認められる風潮があるらしく(雑誌で読んだ)CMの雰囲気と妙にそぐわないようなタレントが起用されてることも多いようだ。目にする度、その意図が透けてしまい気に食わない。あえて個人名は挙げないけれど。 
 


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