LORANの日記
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2007年02月27日(火) 象徴天皇のお仕事



元参議院議員(民主党)・平野貞夫著「昭和天皇の『極秘指令』」

(講談社刊)を読みました。



象徴天皇を、まるで盲腸のように理解していた私の浅学を恥じました。

そのように教え込んでいる「民主教育」について、疑問を持ちました。

また、それを吹聴しているマスコミに下劣さを感じます。


昭和天皇は1901年(明治34年)生まれでした。

1989年1月7日に、87歳で亡くなるまで、在位64年で歴代1位です。


日本は明治時代から立憲君主制で、戦争に負けてからも同じです。

天皇の独断専行は、初めからできない仕組みになっています。


内閣・政府の報告は頻繁に受けていますから、事情に詳しいのです。

国会が終わるたびに、衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣が報告

・説明に参内します。


1929年(昭和4年)満州某重大事件の責任者処分に関して、田中義一

内閣総理大臣は責任者を厳正に処罰すると昭和天皇に約束しましたが、

軍や閣内の反対もあって処罰しなかった時、天皇は「それでは前の話

と違うではないか」と田中を叱責したそうです。

その結果、田中内閣は総辞職、恐縮した田中は程なく亡くなったそうです。


昭和天皇が政治に干渉したと批判する人もいますが、約束したことを

破ったのですから、叱られて当然です。


昭和天皇は日米開戦決定の御前会議で、自ら発言することはないので、

戦争に反対する和歌を披露されたそうです。


東条英機首相が「原子爆弾」の開発・製造を申し上げると、「成功しても

他の国が同様にするから、全人類を滅亡させる。」と叱っています。

それで、「原子爆弾」の開発は中止になりました。

しかし、軍部は秘密裏に「原子爆弾」とロケットを開発していました。

その燃料製造過程で爆発事故を起こしてしまいました。

首謀者の杉山元帥は「まだ、やっていたのか。」と強く叱られたそうです。


ポッダム宣言の受諾が遅れて、広島と長崎に原爆が投下されたことに責任

を感じられていたようです。それで受諾と終戦を急がせました。


1936年に起きた「二・二六事件」では、政府要人を殺害した反乱軍を擁護

する軍部首脳に、制圧を命じたのは昭和天皇でした。


こうして見ると、内閣・政府が機能しなくなったとき、昭和天皇がリード

していたことが分かります。


1976年、現職の田中角栄総理大臣の逮捕という前代未聞の政治的危機が

起こりました。

前尾衆議院議長がこの危機を命がけで収拾したのは、昭和天皇のご意向を

受けて、「核防条約」を国会承認させたのでした。


詳しくは、この本をご覧ください。

私は決して「天皇崇拝」者ではありません。


しかし、内閣・政府が機能しなくなったとき、それを打開してきたのが

天皇であったことを知り、驚いたことは事実です。


民主主義とは多種多様な意見が平等に扱われることを意図しています。

しかし、大きな流れを逸脱しそうになったとき、誰がそれを制御できるので

しょうか?


それを感じた本でした。


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