LORANの日記
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2007年03月07日(水) ようやく晴れてきました。





今朝の九十九里海岸は、厚い雲が立ち込めていました。

その雲の切れ間から、まぶしい光が射してきました.


今朝の瞑想中、不要なエネルギーを取り出してから、光が

入ってきて、隅々まで浸透しました。


お風呂に入っているように体中の力が抜けて、動けませんでした。

頭もなにも考えられなくなり、しばらくそのまま座っていました。


中国の古代思想家の荘子は、これを座忘(ざぼう)と呼びました。

「肉体も知も、好悪の念もなく、道と一つになり、すべてのこだわり

から自由になる。」と、書いてあります。


知識がある者は知識に使われ、お金がある者はお金に使われます。

会社を持つ者は会社に使われ、従業員がいるものは彼らに使われます。


周囲を見て、皆と同じことをしていれば安心し、自分がなんであるかを

知らず、自分がどうのように生きたいのかを知らず、自分の深い思い

を知らず、ただムダに人生を過ごしています。


なにごとも必然でムダではないと言う人もいますが、何回も転生して

いるのに、大した学びも成長もないのでは、ムダと言えるでしょう。


それにしても、自分で知る努力をする人が少な過ぎると思います。

単に本を読んだり、講演を聴くだけでは、学んだことにはなりません。


知識をもらうだけでは、その本質に迫ることはできません。

自らを先人が、身を置いたようにしなければなりません。


そこで何年も先人と同じようなワークをして、先人がなにを感じたかを

推察することが大切です。


結果だけを欲しがるのは、信者でしょう。

先人に迫ろうと努力するのは、行者でしょう。


アセンションの時代といわれていますが、自らがアセンションする

努力をしないで救いを求めているのでは、どうなることでしょう。


自分の人生は、自分が主人公です。

いつまで救いを待っていても、「百年、河清を待つ」になります。


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