ちょっとおもしろい記事を見つけたので、長文だけど、頑張って入力しました。 暇なときに読んでね。
朝日新聞(2002年12月14日・23面) <文化>科学を読む デジタル時代の「監視ゲーム」−時空超え見られる恐怖 黒崎 政男(東京女子大教授 哲学)
デジタル・テクノロジーは、刻一刻、世界を大きく変化させている。少しぼうっとした生活をしていると、自分があっという間に浦島太郎になっていることに気づかされる。 先日、BSデジタルTVを購入する。契約しないと映らない有料チャンネルへ試しに試聴するために電話をかける。TVに付属してきたB−CASカードの20けた程度の番号を伝えて十数分待つと、自分のTVで突然そのチャンネルが映るようになる。地球を回る衛星から、数限りない大量のTVのうちで、我が家のTVが個別的にピンポイントで操作されたのだろうか。 クルマにカーナビを取り付けた。GPS衛星を利用して現在位置を正確に示すもので、見知らぬ街の、例えば寿司屋の電話番号を入力しただけで、その場所まで実に懇切丁寧に道案内をしてくれる。私のクルマの位置は、もしかすると、つねに把握され記録されていくことになるのだろうか。 久しぶりにインターネット上の電子書店にアクセスする。ユーザーIDやパスワードを入力したわけでもないのに、冒頭で「あなたは黒崎政男さんですね。お勧めの本があります」と表示されている。確かに私の興味をひく本が並んでいる。なぜ、アクセスした人間が私だと分かったのだろうか。 ◆日常でも許されぬ匿名 これらデジタル・テクノロジーをめぐる出来事は興味深かったので、その仕組みを調べてみた。デジタル放送のB−CASは、暗号技術を利用し、各受信機に固有の暗号鍵を使って、個人あてにメッセージを送ったり、限定受信を可能にするものだ。すべてのB−CASカードのID番号は、基本台帳で一元的に管理される。クルマの「ネットワーク対応」やITS(高速道路交通システム)によって、個々のクルマの位置は常に把握されていくようになる。 ホームページを閲覧すると、いくつかのWebサイトは、ユーザーIDやその他の情報を書き込んだ「クッキー」というファイルを、我々のコンピューターに投げ込む。最訪問すると、サイト側はそのファイルを参照して、個々人に向けた情報を提供する。クッキーでホームページ訪問者は知らないうちに管理されていることになる。 電話の通信記録、クレジットカードやATM使用、街中の監視カメラなど、<私>の行動が、管理され記録されていることは知っていた。デジタル時代は匿名を許さず、むしろ管理・監視こそ、その特徴なのだ。だが、上記の三つの出来事は、<私>の日常生活のこまかいひだのうちにまで、デジタル・テクノロジーの眼が深く浸透してきていることを実感させた。 ◆全員が管理される側に M・フーコーは『監獄の誕生』において、完全な監獄の建築モデル「一望監視装置(パノプティコン)」に言及している。それは囚人を一望できるように設計された円形の監獄で、看守は施設の中央塔から囚人を常に見ることができるが、逆に、囚人は自分がいつ看守から監視されているのかを知ることができない。誰かにいつも見られているかもしらない、という意識は、その視線を内面化させ、囚人のうちに第二の看守が生まれ、結局、囚人は自ら従順な「主体」に変容する。 このパノプティコンは、近代的名権力の「監視」様態を象徴するものであるが、社会学者M・ポスターは『情報様式論』で、夢想にすぎなかったパノプティコンに機能は、今日、情報通信テクノロジーによって、完全に現実化するとして、それを「超パノプティコン」と呼んでいる。 しかし、さらに社会学者W・ボガードは『監視ゲーム――プライヴァシーの終焉』で、現代のデジタル情報技術は、観察者と被観察者の区分を無効にし、<見えない監視者>の位置に特権的に立つものも、常に監視される側にまわりうる「ポスト・パノプティコン」の時代だとした。確かに、権力の中枢的な情報に、悪意ある市民ハッカーがやすやすとアクセスすることがいまや日常的出来事であるように、ここでは、従来の、強大な国家権力=対=無垢な市民という構図が崩れる。 ◆瞬時に再生される<私> だが、もっとも重要な変化は、現在形の監視から、蓄積された情報に<遡る>監視が可能になったという点であろう。<私>のあらゆる行動、行為が電脳空間のここかしこに(海底に静かに塵が堆積し、地層をなすように)データベースとして遍在していく。ほとんどは沈殿し沈黙したままだが、何らかの意図でそれらを寄せ集めれば、<私>についての驚くほど膨大で詳細な情報が、瞬時に組み上がる。 どこかにある神の眼に見られている、という意識は消えるかもしれないが、いまや、スピノザの神のように、至る所に神は遍在する。それは文字通り、機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキーナ)だ。さて、<私>の行動の規範や倫理はこのデジタル時代に、どう変容していくのだろうか。
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